2019-01-01から1年間の記事一覧

今年の振り返り

今日はクリスマスイブで、気持ちが向けばイエスのことについて書いてもよかったのですが、来週の火曜日が大晦日ですのでブログをお休みすることにして、今日今年最後の記事を書くことにしました。今年最後になりますので、今年の最初に立てた今年の目標の振…

仏国土

読んで下さっている方から見ればいつも根拠の薄いようなことを書いていますが、いつにもまして今日は根拠の薄いことを書きます。体験の裏付けがあまりなさそうだという意味で根拠がないことです。仏国土についてです。 私はこのブログでは霊的なことに関して…

人間の義務

憲法で定められた日本国民の三大義務は教育の義務、勤労の義務、納税の義務とされているようです。法的に細かいことはわかりませんが、これはこの通りに受け取っていいものでしょう。一方で、霊的な見解として次のような言葉もあります。 「人間全体の義務は…

デザイン

ここ最近、デザイン思考をはじめとしてデザインという言葉をしばしば耳にします。多くの人がさまざまにデザインについて語っていますので、まったくの素人ながら、また我田引水でもあるでしょうが、自分の関心のある領域に関連させてデザインについて語って…

Life is a dream, realize it. -2

Life is a dream, realize it. については約3年前に書いたことがあります。人生が夢であることに気づきなさい、そして望みという意味の夢を実現しなさいということについてです。実はもう一つ意味があるかなと最近気づきました。 「みんな勘違いしてんだ。人…

エートス2

私が知らないだけなのでしょうが、エートスについて述べている日本語の資料に触れることがほとんどできず、今日はエートスについて再び書きますが、あくまでも私の大雑把な受け取りを記すことになります。エートスについて述べたくなったのです。 エートスに…

ゆっくり着実に

私の霊性の師であるサティヤサイババは、人生の戦いに勝つための秘訣は「ゆっくり着実に(slow and steady)」であるといっています。 人生の戦いに勝つというのがどういうことかというのが一つの問題です。それは社会における強者になるということでしょうか…

理智鞘4

先週は思考の領域について書き、そこで内なる本質・エッセンスについても触れました。本質・エッセンスは思考(頭の動き)から容易に導き出せるものではないと私は思っていて、ならばそれを確保するには何が必要なのかということが問題になります。今日はそ…

考えてもダメ 考えなくてもダメ

今日のタイトルは禅問答のようであります。ただ私は禅問答はかなり嫌いな方で、説明を聞いても単なる屁理屈に感じることが多く、多くは単なる自己満足に過ぎないと思っています。今日はそのような自己満足に陥らないようにしたいのですが、しかし多少はそう…

雑草堆肥

今日は身近な話題を取り上げます。といってもそれほどは一般的でない話題です。 どこでその言葉を知ったのか覚えてないのですが、雑草堆肥というものを数か月前に知りました。その名の通り、雑草を堆肥にすることです。家の庭は結構広いのですが、手入れが全…

岩を押しなさい

正確な詳細は覚えてないのだけど、記憶に残る話があります。話の内容は以下のようなものです。 昔のある国での話です。 道路の真ん中に巨大な岩があって、その岩のおかげで人々の通行が妨げられていました。それを見た聖者は弟子の一人に「その岩を押しなさ…

ヴェーダの時代

このブログ(「愛に生きる」)をヤフーブログで始めましたが、ヤフーブログが終了することに伴い、はてなブログに移行してきました。ヤフーブログ時代の8年を第1期とすれば、はてなブログ時代はその第2期に当たります。ヤフーブログでの最後の記事を書いたの…

Yahooブログ8年間を振り返って

これがYahooブログでの最後の記事になります。このブログを始めたのが2011年10月1日。約8年間にわたってほぼ毎週1回書き続けてきたことになります。8年間は長いといえば長いのですが、実感としては4~6年くらいの感じで、それでもよくその期間書き続けてきた…

なぜ生きる?

なぜ生きるのか? 少なくない人が悩むことだと思います。たかだか100年生きてもみな必ず死んでしまいます。必ず死んでしまうのに、人はなぜ生きるのか? 私もそういう疑問が頭から離れなかった時期があります。悩みだすとなかなかそこから抜け出ることが難し…

ギーター第6章

ギーター第1章について書いたのは1年以上前です。久しぶりにギータについて触れたくなりました。今日は第6章についてです。第6章は瞑想のヨーガ(道)と名付けられています。私はインド哲学に関して専門的な訓練を受けてないので、あくまでもギーターの詩節…

コンストラクタル法則(『流れとかたち』を読んで)

正確に言えばまだ読み終わっているわけではないのですが、久しぶりにおもしろそうな本に巡り合いました。『流れとかたち』(エイドリアン・べジャン&J・ペダー・ゼイン著)です。ほんの十分の一ほどページをめくっただけでいろいろな思いが湧いてきます。つ…

母の愛を知らない人々

母をタイトルに含む記事をこれまで2つ書いたことがあります。今日はその2つと異なった視点から母にまつわることを書いてみたいと思います。配偶者のいない人はいます。子のいない人もいます。しかし生殖医療の発展した今現在でも母のいない人はいません。万…

一年の目標の途中経過

7月になりました。今年も半分終わってしまいました。早いといえば早いですが、今年の1月に何をしていたかあまり思い出せなくてだいぶ昔のように感じます。つまりそれなりに時間の経過があったというのが実感です。小学生の頃のように濃密な時間ではないけれ…

条件付不二一元論

インド哲学における分類に二元論、条件付不二一元論、不二一元論があります。二元論とはまったくの多様性です。善悪二元論もこの範疇です。不二一元論は唯一つのものが存在し、外界に見る多様性は幻だというものです。ただ一つのものしか存在しないときに他…

多様性2

以前にも書きましたが、この世は多様性によって成り立っています。人が7~80億人いようとどの二人も似ていません。みな異なった個性をもっています。とてもすばらしいことだと思います。人だけでなく、生物種もそうです。さまざまな生物もさまざまな人の個性…

知的生産あるいは知性について

知性についてはたまに部分的に触れてきたのですが、知性を中心テーマにして書いたことはこれまで数えるほどしかありません。世の中には頭を使いたがる人が多いのですが、おそらくそういう人は知性に関心があるのかもしれません。たとえば自分のことを知的だ…

全託5

約2年ぶりに全託について書きたくなりました。しかしながら私には全託というものが今だに部分的にしかわかっておらず、今日書くこともわずかばかりのさわりに過ぎません。こんなことを考えている人がいると、読む人にとって少しばかりの参考というか考えるき…

理智鞘3

先週に引き続いて五つの鞘の内の理智鞘についてです。先週の補足のような感じです。 五つの鞘とは、食物鞘、生気鞘、心気鞘、理智鞘、至福鞘のことです。この五つをある面からわかりやすく説明すれば、無機物・鉱物は食物鞘だけからできています。鉱物はいわ…

理智鞘2

かつて平安時代には宮廷の女性は十二単を着ていたようですが、真の自己=アートマは五重の衣服を着ているとされます。かつて何度か書いたことがありますが、それは五つの鞘と呼ばれます。食物鞘、生気鞘、心気鞘、理智鞘、至福鞘の五つです。食物鞘は肉体のこ…

彫刻としての教育

教育は彫刻に似ていると聞いたことがあります。しかしながら、この言葉を聞いたときの第一印象は、人を育てるのに「痛い」思いをさせなければならないのだろうか、ということ。あるいは教育者は人を自分の思い通りにしてもいいのだろうか、ということ。今か…

変容4

令和になりました。世の中には今回の改元を新年に似た形で迎えた人が多くいると聞きます。私も5月1日に改元を記念して御宮参りをし、新しい時代の平和を祈ってきました。またちょっとしたお菓子を買ってきました。ほんの些細なことなのですが、新たな気持ち…

平成を振り返って

平成が今日で終わります。なじんだ元号が明日から過去のものになるのは、少し感慨深いです。昭和から平成に代わって以来、私は2度目の改元を経験しますが、日本人としてやはり大きな節目のようなものを感じています。 昭和から平成に変わったのは1989年1月で…

ハートと頭(マインド)2

日本語では心という一つの言葉で表されるけれども、英語ではheart(ハート)とmind(マインド)という二つの言葉がそれに対応しています。この二つの関係については一度書いたことがあるのですが、今日もそれに関していくつかのことを書き加えたいと思います…

思想を紡ぐ

私は思想の人が嫌いでした。何となく思想の人は他者に対して高みから攻撃するような印象があって、どんな思想であろうとも暴力性があると感じていたからです。思想の人は人間よりも思想の方を大切にしているようなところもありますし。 しかし思うのですが、…

肉体は世界が体現される場

先週は、社会が自己を入れる容器で社会へのコミットメント(関与)や奉仕を通じて自己が拡大していく、そしてその拡大こそが人生だと書いたのですが、その続きです。 たとえば目の前に誰かがいて、その人が何かに苦しんでいるとします。その人と共にいると、…