2023-01-01から1年間の記事一覧

今年2023年の振り返り

これが今年最後のブログ記事になります。ですので、1年を振り返りたいと思います。ただその前にこれを公開する12月25日はクリスマスですので、それに関連したことを少し書いておきたいと思います。クリスマスはイエスが生まれた日です。イエスはユダヤ人だっ…

2人に影響を与え10人を助ける

人によってはサイババの著書や御講和を読んでいると気づまりを感じることがあるかもしれません。高尚なことがたくさん書いてあるし、どの一つであっても生活に取り入れるのが難しく感じてしまいます。かつての私がそうでしたから。どの御言葉も誠実に受け入…

ヤグニャの場としての身体

今日は少しばかりマニアックなことを書くかもしれません。日本の護摩に似ているヤグニャというものがインドで行われます。私も詳しいことは知りませんが、火に捧げものを捧げ繁栄や平和などを祈る儀式のようなものです。火に捧げられたものは火によって焼か…

ギータ(あるいはヴェーダ)

私は若い頃から、その時々にさまざまなことに関して知的関心がありました。学生時分は数学あるいは科学論特に数学を通してみた科学論に関心があったでしょう。後に霊性に関して関心をもつようになり、今もそれは継続しているのですが、それとは別に経済に関…

リーダーシップについて2023

私はリーダーシップには関心はありませんでした。私は内向的な人間で、人前に出て活動するよりはどちらかというと裏方の方が性にあっている人間だからです。リーダーシップについて少しは学びましたが、それも消極的にでしかありません。しかしながら、ある…

仮説について

今回は仮説について考えてみます。仮説といえば科学を思い浮かべますが、仮説そのものについて語っている書籍はそうは多くないと思います。私はそれらに目を通したことはないのですが、多少なりとも仮説について思いを巡らせたことはあるので、それらについ…

チャクラと光明瞑想

私はインド(バーラタ)に関心をもっていますが、それはサイババがインドと不可分であることによります。サイババを知る前にバガヴァッド・ギーターのことを知っていたと思いますが、サイババに関係なくインドに強い関心があったわけではありません。サイババ…

浄土・極楽

前回、魂の力に関連してCIA(constant integrated awareness)のことに触れました。いつも意識に満たされていることの自覚です。そういう状態にある人にとって、そのような状態はある種浄土系仏教のいう浄土・極楽のようなものではないか、あるいは仏教から外…

魂の力

「この夢のすべてが消え去るときがやってきます。私たちの誰にも、いつか必ず、この全宇宙が単なる夢に過ぎないことに気づき、魂はそれを取り巻く様々な事象よりもはるかに素晴らしいものだと知る時が訪れます。環境と呼ばれるものとのこの苦闘の中で、やが…

一隅を照らす

正確に覚えているわけではありませんが、次のような詩句(言葉)を最近見かけました。 「我唯足るを知る 清貧の一灯 一隅を照らし 利他の行を行う」 我田引水的に理解すれば、これはサイババの示す9つの行動指針の1つです。すなわち「欲望に上限を設け、余った…

奉仕の精神

約30年前、私がサイババの御言葉に触れ始めた頃は、その御教えの何もかもがとても難しく思えたものでした。これは私には無理、あれは私には無理と絶望しかかったこともあるのですが、その中で何とか私にも取りかかることができそうなのが奉仕でした。サイバ…

申し訳ありません

暑い日が続いています。どうぞ熱中症に気をつけられてください。 実はパソコンが急に壊れまして、満足に推敲しながら文章を書くことができなくなりました。すぐに新しいパソコンを買うつもりでいますが、少しの間ブログの更新が途切れることになります。ここ…

奉仕とリーダーシップ

少なくとも私が見聞きする範囲内では、日本で奉仕とリーダーシップの関連について話す人はほぼいないようです。しかし、世界の他の国では少しばかりそれについて述べられることがあるようです。たとえば英語にはservant leadership(奉仕の態度を通じてのリ…

今年前半の振り返り

2週間ばかりブログの更新をお休みさせていただきました。少しばかり辛くてもできるだけ定期的に更新しようと思ってはいたものの、6月のほぼ1ヶ月間湿疹に悩まされ、どうしても気持ちが落ち着かず集中を欠いていましたのでお休みしました。6月の最初の頃、毛…

基準について

仏教とヒンズー教の間には一つ大きな溝があるようです。私が理解している範囲では、それは無か有かということに関してです。仏教の空が無を意味しているのか知りませんが、仏教では最終的に無に行き着き、ヒンズー教においては存在=サット=アートマンがあ…

覚者

このブログでもそうですが、私はあまり覚者という言葉は用いてきませんでした。何となく手垢がついた言葉で、私がこの言葉を用いる文脈に気をつけても、それを無視した意味を読み手に与えそうだからです。覚者の覚には悟るという意味がありますが、悟りに至…

エデュケアとエデュケーション2

約1年1ヶ月ほど前にエデュケアとエデュケーションについて書きました。その時はエデュケアを「内から引き出すこと」と定義しました。それは間違いはありません。今日はそれにもう一つ意味を付け加えたいと思います。 エデュケーションは日本語の教育で、つま…

内的諸感覚

感覚といえば五感すなわち聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚のことを思い浮かべるでしょう。これは肉体に結びついた感覚です。日本にはこれ以外にも感覚と捉えられているものがたくさんありますので、それらの一部について今日は書いてみたいと思います。 私は数…

エーカムサット(One truth or Truth is One.)

エーカム サット ヴィップラーッ バフダー ヴァダンティ真理は1つ、しかし、賢者はそれを様々な名前で呼ぶ(1974.7.23 サイババ) サイババの言葉というわけではなく、ヴェーダのマントラだと思うのですが、サイババのご講話でしばしば取り上げられるマント…

All for One, One for All

私はそうたくさんではないと思うのですが、日々何らかのものを読んでいます。スマホのニュースであったり、ときに新聞を読んでいたり、関心のあることを扱った新書であったり、仏教に関するものであったり、サイ文献(サイババに関する文献)であったりです…

ヴィブーティ(神聖灰)について

今日はヴィブーティについて私が知っている範囲、記憶にとどめている範囲のことを書きたいと思います。間違ったことを理解していたり、記憶違いのこともあったりで正確ではないかもしれませんが、ヴィブーティを理解するきっかけにはなると思います。 バガヴ…

規律の大切さ2

今日は規律について考えます。先週は外的世界と内面世界のことについて書きましたが、それに関連しています。この規律に関してTwitterでおもしろいツイートを見かけましたので、まずそちらを紹介します。 “We don’t have to be smarter than the rest. We ha…

手は社会の中に、頭は森の中に

先週の林住期に関連しますが、サイババの言葉に「手は社会の中に、頭は森の中に」(Hands in Society, Head in Forest)というのがあります。しばしば見かけることのあった言葉です。しかし私は不器用なので、社会の中で活動しているときは頭も社会の中にあっ…

林住期

私のブログを「林住期」で検索すると6つ記事が出てきます。それらはインドからの留学生から聞いた話がベースとなっていて、それに日本の実情、私の置かれている状況などを考慮して書いたものです。なので厳密にいえば、インドの太古からの考え方と異なるとこ…

全託7

定期的に全託について書きたくなります。私にとって一つの大きなテーマです。今日はある文章を読んでいて、少しばかり全託に関する理解が深まったような気がしましたので、それについて書きたいと思います。 when we try to understand the meaning of the w…

AIと車

AIの活用が進んでいるようです。様々な領域でAIの話題を聞くようになりました。世間の耳目を集める大きなきっかけとなったのはAIが囲碁の世界チャンピオンを破ったことでしょう。それ以後AIの一層の開発が進められています。最近ではchatGPAのことをよく聞き…

拡大が人生

先週はBroad mind is life, narrow mind is death.について書きました。mindは狭いよりは広いほうがいいと思います。mindが広がれば世界を見る目も変わります。より平安で幸せになることと思います。一方でmindが狭いと生きて行くのに窮屈でしょう。たとえば…

mind(心、思考、視野)を広げる

次のような言葉が気を引きました。 Broad mind is life, narrow mind is death. Mind can be broadened only through divine contemplation. (1999.4.15) (Sathya Sai Baba)(広い心は命・人生で、狭い心は死です。心は神性・神を黙想することを通じてのみ広…

身について

英語やサンスクリット語に触れていると日本語にない概念に出くわすことがあります。日本語では見かけない概念に触れると、そこから思わぬ発想が湧いてくることがあります。他国の人とコミュニケーションをするという第一義的な目的でなくても、こういう日本…

オーム ナモー ナーラーヤナーヤ

今日は一つの御名について書いてみます。その御名は「オーム ナモー ナーラーヤナーヤ」です。その前に少し触れておきますが、日本人のほとんどの人は御名というものにあまり関心がないでしょう。もしかしたら単なる音の羅列に何の意味があるのかと考えてい…