仮説について

今回は仮説について考えてみます。仮説といえば科学を思い浮かべますが、仮説そのものについて語っている書籍はそうは多くないと思います。私はそれらに目を通したことはないのですが、多少なりとも仮説について思いを巡らせたことはあるので、それらについてまとめてみます。

 

ニュートンガリレオ以来の近代科学の特徴は、理論を数学によって構成し、それを実験によって検証するというものです。ただし自然科学といっても、物理化学生物などなどの違いにより、数学よりも概念(通常言語)による理論構成が主になることもあるでしょう。さらには経済学も自然科学ほど厳密でないかもしれないですが、数学理論によって経済現象をみています。これらの科学の背景にあるのは原理への希求です。根本原理を知りたいという欲求です。そしてそれは仮説を通じて行われてきたわけです。

 

私は若い頃は仮説を用いる学問は自然科学と経済学くらいしか思いつかなかったのですが、後にセブンイレブン鈴木敏文氏の著書を読んで、経営も仮説の科学なのだと知ったわけです。というより、経営を仮説の科学にしたところが鈴木氏の卓越したところです。鈴木氏は経営学は統計心理学であるといわれています。セブンイレブンは単品管理で有名です。季節や気象条件、店舗の立地、地域の行事などをふまえて、どの品が売れるか仮説を立て、日々発注を繰り返しています。セブンイレブンの経営システムはこれを支えるものとなっています。また鈴木氏は事業計画自体も仮説であるとおっしゃっています。

 

セブンイレブンのような小売業だけではありません。著名な投資家も仮説を活用しているように見えます。バフェット氏は企業のファンダメンタルを徹底的に調べ、5年株式市場が開かれなくても大丈夫そうな企業の株式しか買いません。実際には定期的にIR情報をチェックし、前提が変わればすぐに売ります。ソロス氏はバフェット氏とだいぶ趣きは異なりますが、やはり仮説を重視します。彼は仮説を立てた投資案件をまずは少額買い、その値動きを注視し、仮説が正しいと確信したら大量に購入します。

 

実際のところ、私は政治もより仮説を取り入れるのが好ましいと思います。日本は何十年も前に立案され、しかし時代状況が大きく変わったにも関わらず、政策に誤謬はないとの信念のもとそれが実施されることがあります。政策はすべて仮説に基づくとの考えがあれば、その検証や修正もよりしやすくなり、実効性が高まると思います。

 

インドにはブラーミン(僧侶階級)、クシャトリヤ(為政者階級)、ヴァイシャ(ビジネス階級)という区分があります。ブラーミンは存在の安定度、クシャトリヤは社会の安定度、ヴァイシャはビジネスの安定度と関係し、関与する真実の程度もそれぞれ異なりますが、仮説はどの領域にも必要そうです。霊性の領域では、それは信仰とも呼ばれるかもしれません。真実への距離があれば、その間を埋めるものとして仮説は有効です。仮説は一種の対話、コミュニケーションです。

 

霊性の見解によれば、すべては一つです。目を閉じた時に映る世界が内界で、目を開いた時に映る世界が外界ですが、両者は一つの同じものとされます。外界の探究と内界の探究は深く関係しており、その間の対応関係を仮説と呼んでも、そう誤っていないと思います。

 

宇宙の実在は科学によっては今だに理解不能です。霊性の領域にはダルマという概念があり、主にインド(バーラタ)で探究されてきましたが、なかなか説明しつくされることはなく、神秘のベールに包まれてはいます。私たちがそれらについて語ることは単に仮説に過ぎないのではないかと私には思えます。

 

しかしながら私は生まれてからこれまで、主に仮説によって真実に関する部分的な知見を得てきました。仮説はそれなりに有効な道具でした。いつまで経っても仮の人間ではありますが、一方仮であることの自覚は、真理の前での謙虚さを与え続けてくれました。それこそが仮説の最大の効用かもしれません。