八正道2

 

もう過ぎてしまいましたが、4月8日は花祭りであり、お釈迦様について考える機会がありましたので、今日はその中心となる御教えの八正道について書いてみます。八正道についてはかつて書いたことがありますが、少し視点の異なるものです。

 

仏教では仏(ほとけ)といわれます。厳密さは欠いていますが、少なくない人は仏(ほとけ)様を神様と似たようなニュアンスでとらえています。仏教はぶっきょうと読みますが、仏は「ぶつ」とも読みます。なぜならばお釈迦様はブッディを備え体現されていた方だったので仏陀と呼ばれた、と私は当たり前に受け取っています。ブッディはインドの言葉で識別、知性などの意味です。プラグニャーナ(般若)と受け取ってもいいかもしれません。ブッダムシャラナムガッチャーミ(仏陀に帰依し奉る)といいますが、ブッダをお釈迦様ご本人と理解することもできれば、(自らに備わっている)ブッディを避け所とします、という宣言でもあります。

 

ブッディとはその人の存在であるアートマと肉体(とそれに付随する頭脳マインド)をつなげるものです。ブッディがあるから肉体そして頭脳はアートマからエネルギーを引き出して機能することができます。電化製品のコンセントを差し込めば電化製品が機能するように、ブッディは人間という機械が機能するためのスイッチです。ブッディはアートマから生じアートマと肉体をつなげます。

 

このブッディの開発が八正道なのだと思っています。海から蒸発した水は雲となり、雲は大地に雨をもたらします。大地に降った雨は小川となり川となりもとの大海を目指します。川は大地を流れますが、日本の農村地帯を見ればわかるように、川の水は各田畑へとひかれており、水路は大地に張り巡らされています。ブッディは川のようです。大地=肉体への恵みとしてあります。

 

ブッディは知性として受け取られることが多いのですが、それ自体がアートマと肉体との間に通じる道でもあります。それは知識というよりは歩かれるべき道であり、その道こそを八正道と受け取ってもいいのではないでしょうか? ブッダムシャラナムガッチャーミとは、ブッダム=ブッディをシャラナム=避け所と受け取りガッチャーミー=その道を歩みます、という意味です。つまり私流の解釈では、ブッダムシャラナムガッチャーミーとは、八正道の道を歩んで、最終的に正定(瞑想の境地、ニルヴァーナ)に向かいますという宣言です。

 

正見、正思、正語、正業などのように感覚器官や思いと言葉と行動の浄化がまずはあります。それらの調和が正命であり、正精進(サーダナ)、正念(目的地を正しく思い描くこと)、正定が続きます。正は正しいと受け取ることはできますがサンスクリット語ではサムヤクという語であり、清らかな、適切なというような意味でしょう。サムヤクドリシュティのドリシュティは視覚という意味で、合わせて正見と訳されます。

 

常々感じていますが、賢くありたいと思っている人があまりに多いと思います。それはそれでいいのですが、肉体の機能は人さまざまで誰もがオリンピック選手になれるわけでもなく、肉体の特定の機能を競いあう必要性が特にあるわけではありません。同様に知能の機能も人さまざまで誰もが学者になれるわけではありません。知能には個性があります。大切なのは知能の個性を活かすことです。Purity is enlightment.(純粋性が悟り、開眼である。)といわれますが、大切なのは知能にこびりついた油汚れのようなものを取り除いて、知能が当たり前に機能するようにすることが大切なわけです。オリンピック選手並みの運動能力がなくても生活できるように、知能がとびぬけていなくても人間として問題はないわけです。少なくとも私は難しい言葉や概念を用いなくてもやっていけています。正見とは汚れを取り除いた時の見え方のことで、正思、正語、正業はエゴがない状態での思いと言葉と行動のことです。自由になろうと努力するのではなく、束縛を取り除くようにすべきだといわれますが、同じように、正しくあろうとするのではなく汚れを取り除くようにすべきだということです。これが果たされたときにアートマは肉体に完全に反映される=正定というわけです。これがブッディでしょう。

 

インドには九つの帰依の道やアシュタンガヨガ(八つのヨガ)の道があり、多くの人がそれを実践しています。それに類するものとして八正道はとらえられるべきもので、特に仏教徒はそうでしょう。宗派に関係なく一般の人が日常生活で八正道を実践していいですし、一般の人にわかりやすい八正道の解説書が巷にあふれていてもいいように思います。私は常に念頭にあったわけではありませんが、振り返って八正道を実践してきた面はあると思います。アートマの実現(atma realization)という目的をかなえてくれるものでもあります。そしてこれこそが仏教です。