行動指針としての三帰依文

 4年以上前に次のように書いたことがあります。(こちら
 「人間の行動を律するものには三つのものがあると考えています。一つは道徳、一つはダルマ(法)あるいは倫理、一つは霊性です。ダルマとは、例えば父として、母として、子として、配偶者として、社会人としての振る舞い、義務のことです。また霊性とは自分が普遍なる霊であるとの自覚に基づいて行動することです。簡単に言えば、自分がされて嫌なことは人に対して行ってはならない、という非暴力です。」
 つまり人がどのように行動すればいいかに関して、道徳・倫理・霊性の3つの基準を考えることができるとその当時書きました。

 今日はもう一つの3つの基準について書いてみます。それはお釈迦様の説かれた三帰依文です。
 三帰依文とは「仏に帰依し奉る」「僧に帰依し奉る」「法に帰依し奉る」の3つです。この三帰依文に対して日本だけでなく各仏教国で独自の解釈があるでしょうが、私は個人的に自由にこれらについて書いてみます。

 「仏」とはブッディ(知性)です。真の自己をインドではアートマといいますが、アートマ(真の自己)そのものには意志作用はないとされ、いわゆる人の意志とはアートマに沿った意志作用のことだとされます。人は世界に投げ込まれて外界の影響にさらされます。共感という特性によって、人の苦しみや喜びを感じます。そういうものの結果、人間の体が動いてしまう。それがアートマに沿った意志作用ではないかと思うのですが、アートマに沿った意志作用に従って体と思考に指示しそれを動かすものがブッディです。このことから、「仏に帰依し奉る」とは、アートマに沿った意志作用に身を委ね従うことと理解します。

 「僧」とはサンガのことであり、これはそもそも社会のことです。「僧に帰依し奉る」とは社会のために働くということです。人の幸福は社会に負っています。多くの人が社会から益を得られるように、普段から人は社会が豊かであるように社会のために何かをなしていいのだと思うのです。そしてそれは人を導く一つの指針です。社会は巨大な水源地・プールであり、個人はそこから水を引き出します。社会に対して愛を示し奉仕することは有益です。

 「法」とはダルマのことです。何度も書いてきたと思うのですが、ダルマとは倫理に似た言葉で、自分の体に与えられた役割を誠実に果たすことです。子なら子として、親なら親として、配偶者なら配偶者として、社会人なら社会人として。どう振る舞っていいかわからないときは、自分がどういう立場(子か親か社会人かなど)にあるかを自己規定することで行動の方向性が示されます。

 つまり人としてどう生きればいいか悩む際には、「仏に帰依し奉る」「僧に帰依し奉る」「法に帰依し奉る」のどれかに従えばいいわけです。つまり、アートマ(真の自己)に沿った意志作用に従うか、社会へ愛と奉仕を示すか、自分の役割に沿った倫理に従うことを考慮するのがいいということです。

 「仏」「僧」「法」を育みそれらを守るものは、「仏」「僧」「法」によって守られるに違いありません。「帰依し奉る」とは「それを避け所とします」ということも含みます。「仏」「僧」「法」に従うことで、平安と喜びのうちに憩い安らぐことができる。それがお釈迦様の宣言されていること、そしてお釈迦様が人生を通して実践されてきたことに違いないと思うのです。