私がこのブログにおいて「結婚」を表題として記事を書くのは初めてのようです。結婚という文字を含む記事はありますが、結婚というものを中心テーマとして書くのは初めてだということです。多分私が結婚していないからこれまで書いてこなかったのだと思います。結婚していようともしないでいようとも、多分一人残らずある程度の年齢になれば結婚に関して真剣に考えたことがあると思います。私はどちらかといえば若いころから結婚を望んでいたところはありますが、しかし主に健康面、経済面での事情で結婚することはありませんでした。結婚に関する本を数冊読んだことがあります。日本語で発売されているものとしては『霊性と結婚』です。英語のものとしては『Sai's Teacings on Marriage』があります。人間は体と心とアートマ(魂)が組み合わさったものですが、結婚はこの三つの側面のどれとも関係します。肉体の結合や考えの調和はしばしば語られますが、アートマ(魂)が一つになることに関しては日本ではほぼ語られません。これら三つのレベルにおける調和があってこそ、結婚生活はうまくいくのでしょうが。
結婚についてはさまざまな側面から語ることができるでしょうが、今日はダルマという面に関して触れてみます。
「人は行為をしてエネルギーと時間を無駄にし、それが人を物質的な欲望という罠(わな)にはめ、さらに動かなくさせています。この種の行為はモーハ カルマ〔妄執の行為〕と呼ばれるもので、妄執から流れ出し、人をさらなる妄執へと至らせます。人はこの癖から脱却し、ダルマ カルマ〔ダルマにかなった行為〕、すなわち、道徳的な行為、理想的な行為、低次の本能と衝動を昇華して一つひとつの行為を献進へと変容させる行為へと、方向転換しなければいけません。
この姿勢が固まって定まると、あらゆる行為はブラフマ カルマ〔神の行為〕(献身的な行為)となります。すると、人は普遍なる者に帰融し、抑制された個別性を失います。これが、アートマが切望し、大いに好む行為です。」(1974年7月4日 サティヤサイババ)
モーハカルマとダルマカルマとブラフマカルマがあります。私の表現では、モーハカルマとは主に動物的な行為のことです。食べて、寝て、飲んで、交わって、テレビを見てなどなどのことです。仕事中に与えられた仕事をせずにぶらぶら時間を無駄に過ごしているのもモーハカルマの類でしょう。少なくない人がこのモーハカルマの強い影響を受けています。ダルマカルマは基本的に義務に関係する行為です。人の知性が多少なりとも働いているならば義務の感覚があると思います。親子の間の義務、夫婦間の義務、雇用主雇用者の間の義務、地域住民としての義務などなどです。多くの恩を誰かからうけたときに感謝の気持ちをもってその人に接することもそうです。これらの義務は必ずしも法的なものではなく、人間として生まれ、役割を与えられたときに、その役割を適切に果たすことに関係します。ダルマカルマは人間としての行為です。ブラフマカルマは神の御教えに沿った行為、自らを神と同一視してエゴのない神聖な行為に携わることなどです。
次のような言葉があります。
「異性の魅力に惹きつけられる反応は、「幻想」、「陶酔」、あるいは、「モーハ」(妄執)と描写するのが一番です。」(1974年7月4日 サティヤサイババ)
モーハとは主に男女の間に関係する妄想、幻想の類のようです。時に霊性の妨げとなるものに異性とお金が取り上げられることがあります。私の個人的な感覚では、霊性の妨げとなるものの2分の1は異性に関係するもので、4分の1はお金に関係するものです。異性やお金がいけないのではなく、人間は強くそれらのものに惑わされる危険が高いということです。性やお金には注意深く対処しなくてはならないということです。ただし私は結婚していた人やそれなりに富を所有していた人の中でモクシャ(解放、自由)を勝ち得た人がいるだろうことは知っています。なので絶対悪とはいいませんが、注意が必要だということです。
そもそも性に関する迷妄がない人がこの世に生まれてくる可能性はかなり低いと思います。子どものころは性に関する迷妄がないように見えても、思春期を経れば影響を受けます。それは仕方がないといえるほどです。私は、結婚生活とはモーハカルマとダルマカルマとブラフマカルマの組み合わせであって、モーハカルマを必ずしも排除しなくていいと思っています。子孫の繁栄のために必要な人間の機能の一部です。人間が体と心とアートマ(魂)の組み合わせであるのと同じです。結婚して若いころはモーハカルマの比重が高いでしょうが、結婚生活を重ねるごとにダルマカルマの比重が増え、そして子育てを終え老年期に差し掛かろうとする頃にはブラフマカルマに目を向けそれに関係する行為を意識的に増やすのがいいでしょう。結婚は一生にわたるものだとされます。しかしその相は年齢によって変わってきます。この多相性は結婚の魅力の一つであるでしょう。水にも固体と液体と気体という相があります。結婚生活における愛にも相の変化があっていいわけです。
私自身は結婚していませんが、私は若い人にどちらかといえば結婚を勧めます。誰が自分に合った相手かというのはなかなかわからないでしょうが、一人でも多くの人がふさわしい相手に巡り合えることを祈っています。肉体的な魅力、経済的な魅力だけでなく、老年期をどう過ごしているだろうかということも含めて人生のパートナー探しをしてみることをお勧めします。