歴史について

 

今日は歴史について思うことを書いてみます。読んでいただけるとわかると思いますが、私は比較的歴史を意識した人生を歩んできましたし、またそこから多くを学んできました。歴史は私の生活に非常になじみのあるものです。霊性を私の人生の表テーマといえば、歴史はもしかしたら裏テーマといえるくらいかもしれません。必ずしも歴史に関して造詣が深いわけではないのですが、さまざまに私の人生を規定してきました。

 

私は本州最西端の下関に縁があります。ある種の人は東京と地方というような言い方で地方をひとくくりにするような乱暴な考えをもっていますが、メディアの影響で少しばかりは画一化された面はあるにしろ、しかし土地土地の個性は実にさまざまです。そして私が縁がある下関もそうです。下関は日本の歴史の転換期にほぼ必ず顔を出します。古事記にはこの地に都が一時的に置かれていたことが書かれていますし、源氏が平家を滅ぼし全国の支配層が総入れ替えになりましたが、平家が滅んだのは関門海峡の地です。平家に関係する伝承が下関にはかなりあります。室町から江戸時代に移る時期においては、豊臣秀吉朝鮮出兵巌流島の戦いなどのエピソードがあります。幕末期には各地の維新の志士たちがこの地をさまざまに行き来しました。また大陸と近いことから朝鮮半島や中国大陸との行き来が今もあります。これらは日本人の多くの人たちが知っている歴史的事実ですが、小さなエピソードに関しましてはこの何倍もの歴史的遺産があります。今では人口が30万人をだいぶ切る中規模の都市ですが、規模に比べてその歴史的遺産の量は世界的なものといえるかもしれません。それら一々に関して書くならば、かなりの量になるので今日は書きませんが、下関の街を歩いたり、住んだりしてみれば、日常的に意識は何百年の時間や国境を越えていきます。

 

さて日本に限らず世界は物語であふれています。いや中毒するほどに危険なほどです。しかしながら私はあまり物語に関心をもたない人間であったので、その影響をあまり受けていないでしょう。しかし歴史history=His story(彼=超越者の物語)は別です。人間が作る物語は底が知れるものです。しかし事実は小説より奇なりといわれるように、実際に起こったことは人によってさまざまな受け取り方が可能です。歴史は西洋の哲学用語である「物自体」であるという人もいます。物自体とは存在に近い意味です。それは記号ではなく記号以前です。自然科学に似て実証的な面が強いです。歴史というものは底深いもので、それはまさにHis story(神の物語)(サイババ)といわれるゆえんです。

 

私はこれまでの人生で特に数学の歴史、黒船来航以来の日本の精神史に関心があったといえます。他にも日本通史やコーヒーの歴史、仏教史などの本も読んできました。今は市場(マーケット)をどう受け取るかという経済思想史に少し関心があります。ただ本を読んできただけではありません。それらが人生に大きな変化をもたらしてきました。歴史には実践的な要素が多分にあります。

 

たとえば仏教には末法という言葉があり、バーラタ(インド)にはカリユガ(闘争の時代)という言葉があります。似た意味の言葉です。今はカリユガの転換点だとされます。人間は皆アヴァター(神の化身)だというのがバーラタの思想ですが、その中で特にユガアヴァターという存在がいます。ユガアヴァターとはその存在がユガ(時代)を区切るという意味です。クリシュナはユガアヴァターとされます。彼が肉体を脱いだ(死んだ)年にカリユガが始まったとされます。約5000年前です。そしてサイババもユガアヴァターだとされます。いろいろな説がありますが、私が理解している範囲では、サイババの登場した現代はカリユガの折り返し地点です。最悪の時代は過ぎ去って、小さな変動はあるにしろこれから少しずつ時代はよくなっていき、約5000年後に黄金時代(クリタユガ)が到来すると私は受け止めています。バーラタについて全く知らない人にとっては奇妙な珍説かもしれませんが。こういう歴史観が私の人生に大きな影響を与えることは間違いありません。

 

歴史は単に過去のことではなく、未来への展望をもたらします。歴史は過去において何が起こったかを示しますが、それはただ何が起こったかだけでなく、何が実現されていないかも示します。つまりそこには未来への可能性が見て取れるのです。私の好きな歴史学者の一人に加藤陽子氏がいますが、彼女は「歴史の醍醐味と役割は、過去を正確に描きながらも、未来を作り出す力があるところだと思います。」との言葉を残されているようです。歴史は可能性の一つが実現されたものです。未来は不確かです。歴史を学ぶことで不確かで可能性がいかようにもある未来がうかがえます。私の人生はそのような人生でもありました。


私は自然に歴史になじんでいましたが、これを読む人にも何らかの歴史に関心をもってもらえたらと少しばかり思います。何の歴史でも構いません。地域の歴史、家の歴史、お茶の歴史、建築の歴史、関心のある国の歴史、ゲームの歴史などなんでも関心のあるものでいいと思います。アマゾンで検索すれば、新書でもさまざまな歴史について書かれたものがあることがわかります。人は社会の歯車であります(どの人もその人がいないと社会が正常に機能しないという意味)が、また過去を未来につなげる歴史の歯車でもあると思うのです。自分や親世代の文化を子どもたちに伝えることは実際にそういうことを意味します。私ほどには歴史に関心のない人が多いかもしれませんが、私は歴史から多くを引き出し人生を豊かにしてきたのは間違いありません。何らかの参考になればと思います。