2020-01-01から1年間の記事一覧

一年の目標の振り返り

今日は12月22日で、29日もいつもブログの記事をアップする火曜日なのですが、今年は今日の記事で終わりにしたいと思います。今年最後になりますので、一年の最初に掲げた目標の振り返りをしたいと思います。今年の目標は「自分の家と周囲の環境を清潔に保ち…

泥棒

「ブッダは6年の長きにわたり苦行をしました。ある日ブッダは目を開けて、泥棒を捕まえたといいました。泥棒とはだれでしょう? 心(マインド)です。ブッダは、心(マインド)こそすべての苦しみの原因だと気づいたのです。心(マインド)をコントロールす…

ガネーシャ神の恩寵

以前書いたことの繰り返しになりますが、私の宗教は浄土真宗で阿弥陀様を崇めています。しかしながら阿弥陀仏は真如から現れた報身だと聞くこともあり、私はその真如に関心をもっています。真如は真理のことで、他宗教のいう神、ブラフマンに近いところの概…

神のペースで歩む

「幸せは神と一つになることです。(Happiness is union with God.)ババ」という言葉にまつわることを少し触れてみたいと思います。この文を読んで、一見神との融合つまり人生の目的を達成することと受け取ってしまいかねませんが、人によって解釈はさまざま…

サティヤサイババ御降誕95周年

これを書いているのは11月23日ですが、11月23日はサティヤサイババが降誕された日です。1926年11月23日に降誕されました。インドでは日本の数え年のように年を数えるようで、今年は御降誕95周年が世界各地で祝われています。11月23日は毎年盛大に祝われるの…

神仏と一対一の関係を築く

この世の中にまったくの無神論者がいるのかどうか私はわかりません。宗教を信じていなくても、なんとなく超越的な存在を意識することは誰にでもあるでしょうし、そしてその超越的な存在を神仏と思わなくても特に構わないと思うのです。あるいは思議が不能な…

1日1食(2)

私は今年の5月に1日1食の生活を始めました。そのことはこのブログで書きました。以後半年が経ちましたので、その間の経過を簡単ながら残しておきたいと思います。今の状況ですが、1日1食はだいぶ曖昧になってきています。きちんとした食事は1食なのですが、…

収入の数%を奉仕にあてる

サティヤサイオーガニゼーションという団体があります。サティヤ・サイ・ババに関心をもったり、その教えに共鳴した人たちのために、サティヤ・サイ・ババが示した指針に沿って設立された団体です。それは霊性の向上を求める人たちのためのもので、目に見え…

知識について

誰もがそれについてわかっているようで、しかしそれについてきちんと説明しようと思えば上手く説明できないもの。その一つに「知識」があります。知識とはすなわち知っているということで、一時的にかあるいは永続的に自らの存在の一部になっているもののこ…

宗教者は御名を伝えるべし

諸宗教が千年、2千年以上にもわたって教えを説いてきました。そして現在があります。諸宗教の関係者が千年以上にもわたってなした努力は大変なものだったでしょうが、現代の社会状況を見て、その努力の甲斐はどれくらいあっただろうかという思いはあります。…

脱俗への第2の道

このブログを見ていただければわかりますが、私は宗教的な側面が強いです。親からもかつてお坊さんになってはどうかといわれたことがあります。しかしながら、私は宗門に入ることに関心はなかったです。出家をしたいという思いを抱いたこともありません。正…

自己実現

自己実現という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。特にマズローの欲求5段階説が有名です。生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、尊重の欲求、自己実現の欲求の5段階です。自己実現の欲求は精神的欲求、成長欲求とされています。マズローのいう…

サハ ナヴァヴァトゥ(一体性のマントラ)

先週はギータの一節に関して触れました。第9章26節「人が信愛をこめて私に葉、花、果実、水を供えるなら、その敬虔な人から、信愛をもって捧げられたものを私は受ける。」(岩波文庫)に関してです。そして葉は肉体を、花はハートを、果実はマインドを、水は…

4つの捧げ物

今日は秋のお彼岸の中日です。先日お墓参りに行ってきたのですが、その時に思ったことを今日は書きます。 「人が信愛(バクティ)をこめて私に葉、花、果実、水を供えるなら、その敬虔な人から、信愛をもって捧げられたものを私は受ける。」(バガヴァッド・…

西洋の3つの信仰

西洋における信仰と聞いて思い起こすのはキリスト教でしょう。しかしながら、人間の行為の暗黙の前提となっているものを信仰と呼ぶならば、西洋には少なくとも3つは信仰と呼べるものがあります。一つはキリスト教、一つは資本主義、一つは物質的な物の見方で…

エネルギーの節制

お金を節制することはわかります。無駄なことにお金を使うことを避けることです。食物を節制することはわかります。肉体を維持するのに必要なものを食べ、食物を捨てないことです。時間の節制もわかります。時間は万人にとって等しく与えられていますが、そ…

アートマについて

アートマとは真の自己のことです。アートマという言葉は日本では手垢がついていないので、各人の探求を変に阻害するところがないと思いますが、一方でとっかかりがなく何のことかわからないという面はあります。繰り返しになりますが、人間は肉体と心とアー…

アーナンダヴァリ 至福の11段階

私は霊性の道を進むように心がけていますが、霊性の道を歩んでいるとときに人から耳にすることがあります。それは意識レベルは何段階あるとか、人間の成長のレベルは何段階あるとか、瞑想の段階は何段階あるとかそういう類のことです。かつてそういうのに多…

精神労働

このブログでかつて触れたことがあると思いますが、私は常々労働には、肉体労働、知的労働、感情労働とともに精神労働というものがあると思っています。一見精神労働は知的労働と受け止められてしまうかもしれませんが、私は異なるものと考えています。知的…

心を生きる存在

日本語の人間は英語ではman、human beingです。サンスクリット語ではmanava(マ―ナヴァ)であり、これはmanas(マナス心)を生きる存在の意味です。manavaからmanという語が派生したのかは知りませんが、両者は似ています。人間として生まれてくることはこの…

差異について

先週はSAI(サイ)について書きました。今週は差異について書きたいと思います。この言葉は30年以上前から哲学や広告の分野でよく耳にしました。私は自分なりに理解しようとしたのですが、あまりよく理解できませんでした。最近たまたま経営学の入門的な本を…

SAI(サイ)

たまにこのブログにサティヤサイババの名前が出てきますが、私は彼の御講話や著書をよく読んでおり、また彼の御教えだけでなく彼御自身のことについて考えることがあります。今日は彼のこと、いえ正確には彼の御名の一つの意義について書きたいと思います。…

will(意志)について

wishとwillという言葉があります。wishは願望なり期待なりを意味し、心の気まぐれによって何かを望むことを意味します。willは意志のことです。wishは私にもなじみのあるものなのですが、willは私には理解できかねるところがあります。wishは心理的なもので…

内向について(一つの光明瞑想論)

私は内向的な人間です。必ずしも宗教的な人間ではありません。内向的であるとわずかばかりは宗教が理解できたような気になるのです。内向性という尺度を考えた時、私の偏差値は70はあるのではないかと思います。偏差値70は上位2%です。100人ほど任意で選ん…

半年の振り返り

7月になり今年も半分が過ぎました。一つの区切りなので今年の年頭に立てた目標の振り返りをしたいと思います。今年一年の目標は次のようなものでした。「自分の家と周囲の環境を清潔に保ちなさい。あなたと社会に健康と幸福が約束されます。」 aitasaka.hate…

自然との関係の難しさ

長きにわたって人類は自然との間に関係をもってきました。山や木、雨や風などだけでなく、人間の体も自然です。歴史を詳しく調べたわけではありませんが、自然との関係がうまくいっている時期はあまり長くないかもしれません。人間は社会の一部であり、人間…

神に面倒を見ていただくための条件

Any faithful individual need not worry about who will take care of them if they truly devote all their time to thoughts of God and practice of His divine message. (Baba)(もし自らの時間のすべてを、神を思うことと彼の神聖なメッセージを行動に…

人生の方向性

「人生は一本の線ではない。一日という点が連続して、一本の線になる。」(樹木医・塚本こなみ氏の座右の銘) 私は今年52歳になります。仮に100歳まで生きるとしても人生を折り返しました。もしかしたらあと10年足らずで死んでしまうかもしれません。平均寿…

信仰2

信仰については時に触れてきましたが、信仰を主なテーマにした記事は一度しか書いたことがないようで、最近信仰についてまとめて考える機会があったので、今日は信仰について書きたいと思います。 神や仏のことに関してつまり宗教の領域に触れるようになると…

グル(霊性の師)は必要か?

今日はグル(霊性の師)についてです。いつもいっていますが、霊性という言葉もグルという言葉も日本ではあまり人々に使われているわけではありません。より砕けた表現を使えば人生の師といえますし、一般には聖職者(僧侶や神父・牧師)の方々が歴史的に担…