2021-01-01から1年間の記事一覧

一年を振り返って

この記事が公開される28日を含め今年は残り4日となります。年末も押し迫ってきました。これが今年最後の記事になりますので、一年を振り返ってみたいと思います。 今年のテーマは、-「雑修は雑縁をもたらす」を心に留め置く-でした。そしてサブテーマは「自…

神が働く

今日も先週、先々週に引き続きNine Gems(手紙集)の中から心に訴えかける言葉を取り上げたいと思います。 Let God work through you, and there will be no more duty.(神があなたを通じて働くに任せなさい、そうであればそれ以上に義務はありません。) …

バターとバターミルク

今日も先週に引き続きNine Gems(手紙集)の中から心に訴えかける言葉を取り上げたいと思います。 Out of long churning (of) this milk of the world comes butter and the butter is ... GOD. Men of heart get the butter, and the buttermilk is left fo…

ライオンを求めよ

以前似た言葉は目にしたことがあるのですが、最近おもしろい言葉に出会いました。次のような言葉です。Aim at a lion and miss it rather than hunt a jackal and catch it.(ライオンを目指してそれを取り逃がすことの方が、ジャッカルを追ってそれを捕まえ…

霊的学習の方法

私はこのブログで霊性に関する事柄を取り上げています。広く宗教や哲学を含めた場合、そういうものにあまり馴染みのない人にとってはどういうふうにそれらを学習していけばいいのかわからないこともあるでしょう。学習の方法はいくつかあるのでしょうが、今…

両親を亡くして

あまりプライベートなことを書く必要はないのですが、一つの区切りに頭をよぎるいくつかのことを書き残しておきたいと思います。私の母は12年前に亡くなり、父は2年前に亡くなりました。私の親は二人ともこの世にいなくなりました。もしかしたら母は生まれ変…

神々とブラフマン(あるいはGod)

今日はさまざまな神々とブラフマンあるいはGodとされるものについて書きます。今さまざまな神々という言葉で表したいのは、多神教であるインドでしたらインドラ神、ガネーシャ神、ラクシュミー女神などなどのそういう神々のことです。個人的には仏教でいうと…

個我と神我

個我、神我と「我」という字を用いていますが、エゴのことを取り上げるのではありません。私が読む文献においてジヴァアートマを個我、パラマートマを神我と訳していることが多いので個我、神我という日本語を用いるだけです。アートマは真我selfのことです…

3-1=1

一般的には3-1=2です。しかし3-1=1なる方程式が存在します。3つのものがあります。実体と鏡と鏡に写った映像の3つです。この3つの内鏡を取り去ると鏡に写った映像もなくなり、実体だけが残ります。それが3-1=1の意味です。この方程式はサイババが取り…

self realization(自己実現)

self realization(自己実現)にはいろいろな解釈があります。ほとんどの人がそれを達成していないので、それにまつわる推測しか耳にすることはありません。私がself realizationの定義としているのは、experiencing of the Atma as Reality(アートマを現実…

横超

先週書いたことに関連して、仏教特に浄土真宗で用いられる横超という言葉に関して今日は書いておきます。なかなか難しい言葉ですが、素人であるがゆえに書けることもあるでしょう。親鸞聖人が強調されたことから一般に真宗では横超という言葉が竪超という言…

河合隼雄氏3

前回、前々回に引き続き、河合隼雄氏の講演集『「日本人」という病』から題材をとって少し書いてみます。今日は第2章の性を生きるから、ロマンチック・ラブに関する引用をしたいと思います。 やはりエロスというのはすごい情熱ですから、ものすごい迫力を神…

河合隼雄氏2

今日も河合隼雄氏について少しばかり触れます。河合氏はさまざまな仕事をなし、多様な側面をおもちであって、直接お会いしたこともないので、先週取り上げた本『「日本人」という病』の紹介をもう少しさせていただくだけです。この本は第1章 日本人を生きる …

河合隼雄氏

私は若い頃、そう30歳すぎくらいまではかなり本を読んでいました。当時はインターネットで本を買うことはなく、図書館で借りることも少なく、書店に足を運んでおもしろい本はないかと探しながら数時間過ごすことが結構ありました。私は一冊本を読んでおもし…

体は影

今日も「人を解放する心の使い方」について少し触れたいと思います。先週、先々週もこのテーマについて書きましたが、結局のところ、「人を解放する心の使い方」とは外界ではなく内界の促しに沿った心の使い方のことです。内界に関心のない人は内界の世界の…

愛の道

先週は変容について書きましたが、より良い方向に人が変わることは少なくとも停滞ではなく前進でしょう。また。束縛がある人はなかなか変わることができないはずです。変容は人が解放へ向かっていることだと私は受け止めています。そして今日も「人を解放す…

変容5

変容に関してはこれまで時々書いてきました。それらに何か新しく付け加えることができるかどうかわかりませんが、今日は変容について最近思ったことをかきます。先週は人を解放に導く心の使い方があると触れましたが、人の変容はそれに関係します。 最近inner…

心(マインド)のOS

久しぶりに心(マインド)に関することを書いてみます。過去書いたことをかなり忘れているので重なる部分もあると思います。お許し下さい。 心(マインド)が働く場合、今は思考が働くことを想定していますが、成人の場合はだいたいその人の思考パターンとい…

健康について

健康について少しばかり述べておきたいと思います。今は新型コロナウィルスの感染が広まっていますし、感染していない人でもさまざまな制約で何らかのストレスにさらされているでしょうから。 私には持病があります。患ってからもう30年が経とうとしています…

空性

私はツイッターをしているのですが、まずは下のツイート、リツイートを見て下さい。( )に名がある人の言葉ですが、名がついていないのは私のツイートです。ツイートの順番は正確ではありません。ツリー状に束にして示しています。 1.内面の空虚感はとても…

存在論的・鬱(名越先生の造語)

先週は意志を育むということについて書きましたが、最初に少しだけその補足をしておきます。私は自分の生活を義務としてあるいはすべての行為と言葉と思いを捧げものとして行っていると書き、その過程での小さな判断の繰り返しが意志を育む作業となっている…

意志を育む

信仰を育むとはよくいわれます。私もそう思います。実際に私は少しずつ信仰を深めてきました。努めれば今よりも更に深めることはできるでしょう。信仰を育むのは、泳げない人が泳げるようになるのに似ています。初めて水の中に入る人が最初からオリンピック…

神の知性

このブログで新型コロナウィルスのことについて書いたことがあるか記憶がないのですが、今日は新型コロナウィルスについて少しばかり書いてみます。物語とは距離を取りたいとこのブログで触れたことがあるのですが、今回は少し物語を語るようなところがあり…

お寺参りをして4

今日も先月お寺参りをしたときに聞いたこととそれについて思ったことを書きます。今日は蓮如上人のお話です。説法師さんがいうには、以下述べる話は伝説であって、事実に基づいた実話なのかあるいは蓮如上人のお人柄を伝えるために作られた作り話なのかわか…

お寺参りをして3

今日も先月お寺参りをしたときに聞いたお話とそれに関して思ったことを書きます。 真宗以外においては戒名があるようですが、真宗にはありません。亡くなったときに戒名を付けてもらうのが現代の風習ですが、本来は生きているときに付けてもらい、生きている…

お寺参りをして2

先週に続き、お寺参りをした際に聞いたこと、思ったことを紹介したいと思います。 かつてこのブログで書いたことがあると思うのですが、私はいわゆる妙好人の話を読んだり聞いたりするのが好きで、私の好みは源左なのですが他にもいろいろ有名な方々がいます…

お寺参りをして1

今年の年頭に一年の目標をたて、家の中や周囲などの諸片付けを課題に挙げました。半年経ち、片付けは多少は進んだのですが、業者の方の力を借りなければならないこともあり、その業者さんの都合がなかなかつかなく、一番の問題が手についていません。今年後…

超越者との存在や意識の共有

先週「おそらく信心とは、信じる対象と存在そして意識を共有すること」だと書きました。今日は私が神仏(超越者)とどのように存在や意識を共有しているかを書きます。うまく表現できるかわかりませんが、私が超越者の存在と意識にどのように馴染んでいるか…

信仰心について-真宗を通して

今日は信仰心についてです。真宗の中心テーマは信心(信仰心)ですので、真宗というものを通して信仰心を考えてみたいと思います。真宗の御教えの要は阿弥陀様を信じておまかせすることだと思います。何百年にもわたってこのことを手を変え品を変え説き続け…

霊的文献を定期的に読むことに関して

私は霊的文献を定期的に読んでいます。仏教の聖典、真宗の聖典、サイババの御講話、バガヴァッド・ギータなどが中心です。かなり前は聖書に関係する本も少し読んだことはあります。儒教を霊的文献と捉えるかどうかは人によりけりでしょうが、これも少しは読…