愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

変容5

 

変容に関してはこれまで時々書いてきました。それらに何か新しく付け加えることができるかどうかわかりませんが、今日は変容について最近思ったことをかきます。先週は人を解放に導く心の使い方があると触れましたが、人の変容はそれに関係します。

 

最近inner personality(内なる人格、パーソナリティ)という言葉に出会いました。確かにパーソナリティには見かけにあらわれ他者から理解される外側のパーソナリティと、他者はほぼ気づくことのできない内側のパーソナリティがあります。内側のパーソナリティとはその人の思いや思考、感情の状況のことといっていいでしょう。ほとんどの人はほぼ絶え間なく内なる会話を繰り返していると聞きますが、そこにその人の人格=パーソナリティが現れます。感情や思考が激しい人がいたり、混乱している人がいたり、何かに駆り立てられているような人がいたり、一方でバランスが取れ穏やかな人や生産的な心的活動が行われている人もいるでしょう。それは自らが自覚しているその人自身の姿なのかもしれません。

 

inner personality(内なる人格、パーソナリティ)の変容を目指すのは好ましい仕事です。私は若い頃は心の中がせわしい人間でしたが、今は昔と比べて随分穏やかです。自分でいうのもなんですが、よく変わったものだと思います。一般に歳を重ねると心が落ち着くことはあるでしょうが、私はかなり努力を重ねました。内なる人格=内なる言葉のありようを変えるのに私がしたことを思いつくままに上げると、御名を唱えること、瞑想、付き合う仲間や接する情報を制限することなどがあります。いわゆるサーダナ(霊性修行)といわれる類のことです。

 

私の家は真宗であったので、御名を唱えたり、書いたりすることは大きな助けになりました。御名を唱えても何年もそれに集中できなかったのですが、20年も続けていたら少しは集中できるようになります。畑に種をまいて水をやれば芽が出てきますが、それに似て御名を唱えることはハートという畑に種をまくようなものです。あるいは牛乳の中にヨーグルトの種菌を混ぜれば全体がヨーグルトになるように、愛を込めて御名を唱えることはハートをその御名があらわす神仏の住処(すみか)とします。御名はハートを発酵させ、ひいてはそれが人格の改善につながります。

 

人の内面が安定すれば、その人の生活も次第に安定してきますし、一人ひとりの生活が安定してくれば、家族や社会も安定するでしょう。家族や社会が安定すれば国家も安定し、国家が安定すれば世界も安定します。

 

私は最近経済・経営に関する本を読むことが多くなりポートフォリオという言葉に接することがあります。ポートフォリオとは金融商品の組み合わせのことです。人は資産を不動産や預金や株などでもちますが、その組み合わせや割合のことです。このポートフォリオという言葉は人間性を考えるのにも便利な言葉です。例えば人は何に価値を置くかということです。人間関係、富、健康、人格、知識、霊性などなどに関して人が違えば何に価値を置くかその割合が異なるものです。人が変わるとは、ある意味その割合・組み合わせつまりポートフォリオが変わるということです。何を人生の規律とするのかに関しても同じことがいえます。規律にはさまざまなものがあります。時間に関する規律、飲食に関する規律、レクリエーションに関する規律、仕事に関する規律などなどですが、人の数ほど規律のあり様は違うでしょう。この規律の組み合わせ、重点の置き方の違い、つまりポートフォリオが変わることが変容でもあります。人間の徳にもさまざまなものがあります。愛、勇気、忍耐、満足、謙虚さ、勤勉さ、着実さ、寛容などなど何十も徳目を上げることはできるでしょうが、どんな徳を大切にするかがその人がどういう人であるかを示すことになります。徳目は人の内なる世界を支える柱のようなものですので、徳の組み合わせがその人であるといってもいいわけです。

 

以上まとめれば、人の変容を導くものは霊性修行や規律や徳の涵養ということになります。そういう方向に沿って心を用いることは長期的に人を解放へ向かわせるでしょう。霊性修行を意識的に行うことやあるいは規律や徳を身につけるために長期間にわたって努力をすることが、後戻りすることのない変容をもたらすと私は考えます。この点に関しては大人が子どもより優れているとはいえません。大人も子どもも共にこれらの努力をするような風潮が広まればいいなと思います。