愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

ライオンを求めよ

 

以前似た言葉は目にしたことがあるのですが、最近おもしろい言葉に出会いました。次のような言葉です。
Aim at a lion and miss it rather than hunt a jackal and catch it.
(ライオンを目指してそれを取り逃がすことの方が、ジャッカルを追ってそれを捕まえるより(好ましい))
こちらのページにあるAssert your God-headという手紙の中の言葉です。

http://www.sathyasai.or.jp/mmg_cnt/202112/nine-gems-part-2.pdf

 

これは人によって受け取り方はさまざまかもしれません。要点としては、目標を高くもてというようなことです。ライオンは百獣の王であり、ジャッカルよりもライオンを手にすることを目指しなさいということです。

 

思いつくところでは、例えばライオンはアートマの知識であり、ジャッカルは世間に流布する一般的な知識と受け取ることができます。アートマの知識すなわち真の自己に関する知識は獲得するのがなかなか困難を極めるものであって、それを真摯に求めたとしても獲得できないことはあります。しかしながら、アートマの知識を求めてそれを得られないことの方が、世間にありふれる、そう例えばテレビで解説されるような知識を理解するよりも遥かに好ましいといえます。日本人の99%はアートマの知識といってもその言葉にほとんど馴染みがないでしょう。ましてやそれを求めようとする人はごくごく限られた人です。一方テレビを見るのが習慣の人は山のようにいます。ライオンが百獣の王であるように、アートマの知識は知識の中の王のようなものですが、求めてそれが得られないとしても、それを求める人の方が祝福されていると私は思います。

 

あるいは次のような例えはどうでしょうか? ある宗教の熱心な信者がいるといます。今クリスチャンとしましょう。キリスト教には「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」や「汝の敵を愛せよ」というような御教えがあります。解釈はさまざまあるようですが、普通の人にはなかなかできない御教えだと思います。イエス様を信じる人の中にこれを真摯に実践に移す人もいるでしょうが、最初から無理だと諦める人もいるでしょう。私はクリスチャンでないのでわからないのですが、これらの御教えに真摯に従った人にしか達し得ない境地というものがあるかもしれません。しかし一生懸命実践しようと心がけたにしても、途中で何度も挫折した人はこれまた多いことでしょう。これに比べたらクリスマスの晩にごちそうを買ってきて愉快にお祝いすることはジャッカルを追うようなものです。一方イエス様の御教えに、それがどれほど困難であってもなんとか御教えに真摯に従おうとすることはライオンを目指すに似ています。

 

次のような例えもできます。人生の目的として解脱あるいは束縛からの解放を目指して努力することがライオンを目指すことに似ていれば、少しばかりの富や地位を求めて努力することはジャッカルを追うに似ています。そもそも解脱というものがどういうものか容易にわかりかねるものを求めようとする人が日本にどれだけいるかということです。日本には何万とお寺があり、住職もそれに近い数だけいるでしょうが、私は解脱を目指していると嘘偽りなく宣言できる人は多分少数でしょう。実際のところ夕方になるとテレビの前に座って晩酌を始める住職のほうが多いのではないかと私は少しうがった見方をしています。

 

私個人のことを少し書いておきましょう。私は大学に進学する頃、「科学をぶっ潰したい」というような思いを抱いていました。その意図するところは、科学のせいでさまざまに自然環境が汚染されていたり、さまざまな武器がつくられたり、さまざまに機器がつくられて生活が人工的になっているのがどうにも気に食わなかったのです。それは(自然)科学に対する盲目的な信仰のためであって、そのような盲目的な信仰を世界が改めるようになってほしいというような気持ちでした。私の見るところ、(自然)科学への盲目的な信仰は科学の言語である数学に対する無知が原因でした。世界中の科学者が数学という言語に関してまったくといっていいほど批判精神をもっていないことが信じられませんでした。なので私は数学を学びつつも、数学史や科学哲学なども学び、詳しいことは書きませんが、私は学生の時にこの数学というものに対する見方の革命的変化に立ち会うことができました。当時はごく少数の方としか共有できませんでしたが、その時の変化は30年後の今の世界に広がってきているのを感じています。求めれば得られる可能性は上がるということです。

 

若い人には目標を高くもってほしいと思います。ちょっとニュースを見れば、日本人で宇宙デブリ(ゴミ)の回収を計画している企業体があったりします。汚染された海の浄化に取り組もうとしている人たちもいます。自然科学の分野でなくても、たとえば今の日本で成長と発展の肯定的なサイクルを生み出そうとするような試みも大きなチャレンジです。貧困者や自殺者を可能な限り減らそうとする人たちも大きな目標を掲げています。社会科学の分野だけでなく、人文科学の分野にも大きなチャレンジはあるでしょう。それらの高い目標は達成されない可能性はありますが、しかしほんの少し努力して得られる目標を簡単に得るよりも、大きな目標、理想を追う方が望ましいように私は思います。

 

低い目標は罪であるといいます。私は50を過ぎて残りの人生は少しずつ減ってきていますが、それでも自分なりに可能だろうかという目標は胸にしまっています。仮にそれが達成できないにしても、高い目標があれば人生をずっと前向きに歩み続けることができます。