帰依の道

今日は帰依の道についてです。霊性の道の中で帰依の道が最も簡単だといわれます。それはひたすら神を求め、神を愛する道のことです。それ以外には何も必要ありません。神を愛する形式にさまざまなものがあるでしょうが、それは形式だけのことで、大切なのは愛です。帰依の道に関して、それ以外のことは些末だといえますが、今日は帰依の道にまつわることで薄々感じてきたことを書きたいと思います。
 
帰依の道との対比で英知の道に関しても触れますが、英知の道を歩む人はアートマ探求というものが中心のテーマになると思います。それに対して帰依の道を歩む人にとって大切なのはダルマではないでしょうか。アートマもダルマも一筋縄では理解できない概念ではあるのですが、アートマよりはダルマのほうがわかりやすくはあるでしょう。それは簡単にいえば人としてのつとめのことです。
 
帰依の道を歩む人は、神以外のことはあまりどうでもいいので、あれがしたい、これがしたいというような欲求が少ないと思うのですが、そういう人は普段どのような生活をしているかといえば、淡々とダルマに従っているといえます。職場での義務や家庭での義務に従い、ときに普段の生活範囲をこえた方々に奉仕を捧げています。帰依の道を歩む人にとって、ダルマは人生の乗り物であって、ダルマに従っていさえすれば、他に余計なことを考えずにすみます。いえ、神のことだけを考えていられます。
 
一方でアートマというものは普通の人になかなか理解できるものではなく、アートマを何十年探求しても目的を達することができないことはしばしばです。帰依の要素をまったく取り入れずに、純粋に思弁のみでアートマを求めたとしても、99%以上の人は失敗するといえるほど困難を極めます。なぜなら思弁はわずかながらでもエゴがなければ不可能であり、アートマはエゴが去らなければそこに到達できないからです。しかし滑稽なのは、英知の道を目指す人や英知の道を勧める人が多いという事実です。
 
帰依の人はただ神のことを思っていられればいいわけで、他に何かを求めるわけではありません。しかしながら、神様は自分のことだけを思う人が愛おしいのでしょう、帰依者に多くのものを与えてくださいます。帰依者は英知を求めているわけではないのですが、求めていない英知を与えてくださることがあります。富を与えてくださることもあります。ありとあらゆる安寧を与えてもくださいます。帰依=神を愛する道は、最も簡単であるだけでなく、最も実りの多い道です。そのような道を歩む人が日本に少ないように見えるのはとても残念です。
 
帰依の道を選んだ人はダルマに従い、英知の道を行く人はアートマを探求する。ダルマとアートマはアートマダルマにおいて一つとなります。到達点は同じです。帰依の道を選んだ人は願わずしてそこにたどり着く可能性が高く、英知の道を選んだ人のほとんどが目的地にたどり着けません。99%の人に勧められる道は帰依の道ですが、日本人は「神様、神様」と心に思うのがもしかしたら恥ずかしいのかしれませんが、容易な道を避けているようです。いいえ、それが容易な道だということをまったく知らないのでしょう。そしてそれを伝える人がほとんどいないのが現状といえます。