愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

帰依者のあるべき姿

 

霊性の道は大きく分けて3つあります。行為の道、帰依の道、英知の道です。最も簡単で最も効果があるのが帰依の道です。行為の道は自助努力によって人生を切り開いていくことや奉仕の道です。英知の道は知恵を高めて目的に達することです。人には適性があるので、自らが好む道を歩めばいいのですが、多くの人に勧められるのが帰依の道です。帰依の道は愛するお方(神)を思って生きること、その愛するお方との関係で世界を捉えることです。愛するお方のことを思ってさえいればいいのですから、最も苦労の少ない道です。

 

次の映像を見て下さい。

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サイババに一人の帰依者が寄り添っています。サイババが歩き出せばその人も歩き、サイババが立ち止まればその人も立ち止まります。進む方向はサイババの意志次第で、寄り添う帰依者の意志は感じられません。誰の手紙を受け取るかはサイババ次第で、ときにサイババが受け取ろうとした手紙をサイババに代わって受け取ることがあります。誰かがサイババと話をするとき、サイババの方に傾くと、サイババが怪我をしないように手を出してその人が倒れないようにしています。サイババがヴィブーティを出すと、手を拭くためのハンカチをすぐに出します。サイババに寄り添う帰依者はサイババだけに集中していて、サイババの動きに細心の注意を払っています。この帰依者はおそらくほとんどの日本人がかなわないほど知的に優れていて、技能(スキル)を身に着けていて、人格的に卓越していますが、そんなことは感じさせず、サイババのことだけを考えています。これが帰依者があるべき姿です。

 

帰依者にはおそらく自らの意志といえるものはないのでしょう。愛するお方とその意志に注意をはらい、愛するお方に寄り添い、もしかしたらわずかばかり愛するお方の手足となる。サイババは肉体をもっていますが、一般に神を愛する人は偶像や絵などで形を思い浮かべるにしろ、その愛するお方の意志はなかなかわかりにくくはあります。しかしその愛するお方の意志が何となくでも感受できるならば、私にとっては「なるようにしかならない。起こるべきことはすべて起こる。」というのが神の意志のように感じられますが、その愛するお方の意志に対して徹底的に寄り添うこと、これが帰依者のなすべきすべてです。楽といえばこれ以上楽なことはありません。それで人生の最高の目的を成就することができるでしょう。

 

映像に戻りますが、サイババには意志が感じられます。一方サイババに寄り添う帰依者はサイババに集中していますが、自らの意志といえるものは感じられず、自らの存在をサイババの意志に溶け込ませようとしています。サイババには選択の余地があるかもしれません。しかし寄り添う帰依者には選択の余地は感じられません。「選択する人は混乱しているのです。」というクリシュナムルティの有名な言葉がありますが、まさに寄り添う帰依者にはわずかばかりの混乱も感じられません。まったき集中です。

 

「24時間神を思っていなさい」とサイババは帰依者に勧めますが、世事に追われていると少し難しい面はあります。もしそれができているならば、その人は霊的にかなり高いレベルにいる人です。神を思う人は神になるといわれますが、24時間神を思っている人は神のすぐ近くにいる人で人生の成就はかなり確実でしょう。知恵は必要ありません。多くの仕事も必要ありません。ただ神を思っているだけです。神を思っている人は神に溶け込み、神以外のクズを思っている人は再び生まれ変わってくるとされます。