2021-01-01から1年間の記事一覧

ブッダプールニマの資料へのコメント

日本で花祭りは毎年4月8日に行われますが、世界の他の仏教国では旧暦に従った満月の日にブッダの生誕や成道、涅槃を祝う国もあるようです。今年は5月26日の満月の日がそれに当たります。プールニマは満月を意味するようで、この日はブッダプールニマと呼ばれ…

幸せの第二の方程式

だいぶ前になりますが、かつて「JOY(喜び)を得るには」というタイトルで記事を書いたことがあります。その時と内容は重なる部分がありますが、今日もJOYについて書いてみます。 aitasaka.hatenablog.com JOYとは、Jesus first, Others second, Yourself la…

アートマであり続けることが奉仕であることについて

プルシャスークタムというヴェーダのマントラがあります。プルシャを称える讃歌(スークタム)です。私の理解がごく僅かで申し訳ありませんが、プルシャとはブラフマン、神を人間のような姿になぞらえたもののことです。「サハスラシールシャプルシャハ サハ…

霊性における熟睡状態

先週書いたことに関して少しばかり補足のようなことを書いておきます。人には、感覚が活発に活動している覚醒状態にいる人、意識は内に向いているけれども夢を見ている人、そして内なる世界に生き続けている熟睡状態の人がいるという文章を引用しましたが、…

聖者・霊性探求者にとっての夜

バガヴァッド・ギーターに次のような詩節があります。「万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である。」(岩波文庫 2章69節)"That which is night to all beings, therein the self-subujugated rema…

統制的なものについて

先週は物語について書きましたが、それに少し関連することを今週は書きたいと思います。物語のもつ一つの機能についてです。 私は若い頃に少しばかり西洋哲学に関するものを読んでいました。もう30年くらいあるいは25年くらい前かもしれませんが、浅田彰氏だ…

物語について

いわゆる手にとって読む本に書かれた物語ではなく、むしろ人々の語りとしての物語に関してです。大きな物語として代表的なものに歴史があります。本来歴史は歴史資料をもとに科学的に過去の状況を探っていくものだと思いますが、しかしながら、小説家の書い…

すべてを捧げる

先週はこれではない、これではないという探求とともに、奉仕や犠牲について触れました。私の中では、これではないという探求、奉仕、犠牲という三つの概念は同じではないにしろかなり重なる部分があって、近い意味として取り上げているのですが、人によって…

Serve all, Be nothing

かつて下の詩について約2年前に書いたことがあります。 aitasaka.hatenablog.com Bear all, do nothing. Hear all, say nothing. Give all, take nothing. Serve all, be nothing. (saibaba)(すべてに耐え、何もしないでいなさい すべてを聞き、何も言わな…

犠牲=浄化の道

先週の続きのような内容です。真理を映し出すにはハートが清らかでなければなりません。ハートが清らかであるとは一体どのような状態なのでしょうか? おそらくは悪い想念がない状態のことです。さらには善いものであっても想念は少ないに越したことはありま…

真理と真実

先週はニュートンとアインシュタインを取り上げて科学的認識について触れましたが、それに関連して真理と真実に関して今日は少し書いておきます。真理と真実といっても私の語感に因る部分が多く、単なる文学的な議論に過ぎないという指摘もされそうですが、…

ニュートンとアインシュタイン

科学において著名な両者ですが、今現在一般にはアインシュタインの方が人気かもしれません。そしてより優れた業績を残したのはアインシュタイの方だと考えている人もいるでしょう。アインシュタインは天才でかつ叡智の人です。科学者であるということと叡智…

日本文化のマントラ化

先週「マントラは存在の家」という記事を書きましたが、その中で日本文化をマントラで再編するということに触れました。今日はそれにまつわることです。 その前に霊性に関することで一般論を少しばかり書いておきます。私たちの多くは小学校、中学校、高等学…

マントラは存在の家

「言語は存在の家である」というドイツの哲学者ハイデガーの言葉があります。私はこの言葉を直感的に理解できるのですが、人によっては意味を取りかねる人がいるかも知れません。私は西洋哲学の文脈を詳しく知りませんので素人としての見解ですが、簡単にい…

盗用と剽窃

著作権がらみで引用と盗用と剽窃のことが気になったので、少しばかり書いておきます。私は法律や判例のことを知らないので厳密に何が引用で何が盗用で何が剽窃なのかはわかりません。素人ながらに理解しているのは、引用は引用元を示して引用すること、盗用…

知識の目的は識別

どんな知識であろうと、少しばかりは価値を内包しているものです。ある人には価値のない知識であっても、他の人は価値を見出すかもしれません。普遍的な価値もあれば、一時的地域的に価値をもつ知識というものはあるものです。キャンディーは包装紙で包まれ…

人生は一片の詩

ツイッターで心惹かれるツイートに出会いました。昨年の終わりです。「人生は一片の詩篇だが、それを身体で表現しなければならない。(名越康文)」 確かにそういう面はあります。私は今52歳ですが、一応あと30年くらい生きるとしてまだ人生の途上にいるわけ…

文化としての身体感覚

「文化とはそれに携わることでこころが浄化される装置である」とどこかで書いたのですが、もう一つ気になる文化の定義があります。それは身体感覚が文化であるという考え方です。 私はかつて20年以上前になりますが野口晴哉(はるちか)先生が創始者である整…

日本文化の有効性

The first aim is to foster and cultivate Bharatiya culture. Let its validity be examined through actual living, and one's own discovery of its values; and communcated to others by those who have experienced the peace and joy derivable from…

こころを編む

以前文章を読んでいて、knit the heart(こころを編む)という表現に出くわしました。とてもいい表現だなと初めて目にした時に思いました。私はテレビをほぼ見ませんし、15年くらい前から家にいて時間がある時に編み物をすることが多くありました。編み物を…

光の宗派

前年12月にお寺参りをした時に聞いた話です。親鸞聖人を慕う人々が仏法を学ぶ集まりを行う際に本尊が必要ですがどうしたらいいでしょうかと親鸞聖人に問うたとき、親鸞聖人はしばらくの間考えて文字を本尊にすることに決めたそうです。正確には名号です。浄…

今年の目標

明けましておめでとうございます。2021年がやってきて最初の記事ですので、毎年同様まずは今年一年の私の目標を書いておきたいと思います。昨年の最後の記事で、昨年の目標「自分の家と周囲の環境を清潔に保ちなさい。あなたと社会に健康と幸福が約束されま…