愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

意志を育む

 

信仰を育むとはよくいわれます。私もそう思います。実際に私は少しずつ信仰を深めてきました。努めれば今よりも更に深めることはできるでしょう。信仰を育むのは、泳げない人が泳げるようになるのに似ています。初めて水の中に入る人が最初からオリンピック選手のように泳げるわけはありません。長年の練習によって泳げる距離が長くなり、スピードが早くなります。それに似て信仰も少しずつ育まれ深まっていくものです。

 

さて今日は信仰についてではなく意志についてです。約一年前にも意志について書いています。

aitasaka.hatenablog.com

検索していただければわかりますが、他にも意志について結構書いています。最近私が関心を持っている経営者の一人であるセブンイレブンのCEOであった鈴木敏文氏の本を読んでいて、ふと意志について書きたくなったので今日も書くことにしました。

 

鈴木氏は、売り手も買い手も買い手が何が欲しいかわかっていない状態でどうすればものが売れるかを探る方法として仮説を強調しています。最近の日本人顧客は「何かいいものを見つけて提案してくれ」という態度でいると鈴木氏はいいます。(『朝令暮改の発想』)「仮説を立てるという、こちら側からの主体的な問いかけがあって初めて、顧客からの具体的な答えが返ってくる。こうして潜在的なニーズを掘り起こすことができたところが需要を創造し、先行者として顧客の高い支持を得ることができるのです。」とおっしゃっています。セブンイレブンでは仮説に基づいて翌日の発注を出すようなのですが、鈴木氏によれば、仮説に基づいた商品の発注は、売り手としての意志そのものだそうです。

 

私の過去のブログを見ていただければわかりますが、私はあまり意志というものは強くありません。自らの意志がよく自覚できないところがあります。今の高校生は将来何がしたいかを考えて大学受験をするのが普通なのかもしれませんが、私も高校生の時に考えていたもののそれでも何がしたいかわからず、ただ受かるところを受験し、大学に入っても半ば惰性で講義を選択し受講していました。何がしたいかが薄っすらとわかり始めたのは大学を卒業する頃、あるいは大学院に入ってからです。今でもそれに似たところはあります。自分が何をしたいのか薄ぼんやりしています。将来に関してはぼんやりとしていますが、しかしながら過去を振り返ると、それなりに自らにも意志らしきものがあったことがわかります。

 

何が言いたいかといいますと、少なくとも私に関しては意志というものははっきりとしているものではなく、信仰と同じように少しずつ育んできたものであろうということです。セブンイレブンでは日々仮説を立てて商品を発注(売り手の意志を明らかに)し、翌日に売上を検証するという作業をしていますが、その積み重ねでセブンイレブンのブランドが築かれてきました。私の人生に関しても似たところがあり、私は日々主に義務をなすことに注力していて、毎日毎日朝なすべきことを確認し、夜振り返りを行っています。意志を持つ以前にやらなければならないことをしているだけなのですが、その積み重ねを振り返ってみたときに、それが単なる義務の履行を越えて一つの意志として表現されているのが人生のおもしろいところです。私の生活は義務を中心としていると受け取ることもできますが、ある見方をすればすべての行為と言葉と思いを捧げものとして行っている面もあります。捧げものとしてふさわしい生活を行っているか自分でもわかりかねるところはありますが、捧げ物にふさわしいものであるように生活の中で小さな判断を繰り返すことが意志を育み深める作業になっています。

 

私は山歩きをしますが、一つの山を越えればまたその先の展望が開けてきます。ある程度の期間の地道な作業の積み重ねが今後の人生に対する意志をもたらしてくれるのに似ています。地道で良いことを繰り返していれば、時が来たときに過去を踏まえたさらなる展望がふと得られるものです。私にとっては意志は抱くものではなく少しずつ育くむものであろうと、この年になってやっと気づいてきました。