身について

 

英語やサンスクリット語に触れていると日本語にない概念に出くわすことがあります。日本語では見かけない概念に触れると、そこから思わぬ発想が湧いてくることがあります。他国の人とコミュニケーションをするという第一義的な目的でなくても、こういう日本語にない概念に触れて思考が活性化されることは他国語を学ぶ一つの利点であると思います。そして逆に、他国から見て日本語に独特の概念というものもあるはずですが、日本語にしか触れていないとそれになかなか気づくことがありません。しかし今日取り上げる「身」という概念は少なくとも私の知る範囲では明らかに日本独特の概念に見えるのです。

 

日本語には体、肉体、身体というように似た言葉があります。私はこれまで何となくのニュアンスでこれらを選択していたのですが、必ずしも明確な違いを意識していたわけではありません。というかその違いを明確に説明できなかったという方が正確でしょう。また私は身というものを何となくですが自覚していました。感覚的に身とはこういうものであろうと実感していたのです。しかしやはりそれを言葉でうまく説明できるかといえば、必ずしもそうではありませんでした。世の中には私と違って身というものについて深い理解をもつ人がいるはずですが、私はそれらの人に接する機会はありませんでした。

 

さてところがです、どこでその言葉を見かけたかは忘れましたが、inner sense organs(内なる感覚器官)という言葉が目に入りました。この言葉を見たときに、なぜかふと「感覚器官を備えたものとして受け取った心」のことを身と呼ぶのかもしれないと思ってしまいました。一つの仮説です。しかしながらたとえば「魚の身」という言葉がありますが、ここでの身は肉、体という意味でしょうから、必ずしも私の直感は正しくないかもしれないとも思いました。身とは体のことではあるけれども、特に感覚器官に焦点を当てて体を見ることなのかもしれません。なので「感覚器官を備えたものとして受け取った心」あるいは「特に感覚器官に焦点を当てて体を見たもの」という2つの定義が考えられます。今日は前者に関連して少し書いてみます。

 

心の機能を感覚器官に例えることがあります。
Faith is always blind. Has faith an `eye'? Why say `blind faith'? Either simply say `faith' or say `Jnana' [knowledge]. 
信仰はいつも盲目です。信仰に目がついていますか? なぜ盲信というのですか? 単に信仰というかあるいは英知(知識)といえばいいのです。(ラーマクリシュナパラマハンサ)
ラーマクリシュナは信仰には目はついていないといっています。見えるならばそれはむしろ英知といった方がいいと示唆しています。私にとっても信仰はそのようなものです。よくわからないことが多い、あるいは必ずしも明確ではないことを信じています。かといって何かを信じる時、必ずしも根拠がないわけではありません。私にとって信仰はある種の皮膚感覚です。風は目に見えませんが皮膚で感じることができます。風の流れは目で見るように明確ではないけれども、皮膚で感じる風にはそれなりの確からしさはあります。私にとって信仰は触覚的で英知は視覚的といえます。

 

さて真宗ではしばしば「お慈悲を味わう」といいます。真宗門徒にとっては阿弥陀様の御心=お慈悲は味わうものとされます。味覚にたとえられています。またヴェーダには「ラソーヴァイサハ」という詩句があり、これは「神は甘さである」という意味です。やはり神は味覚で味わうものとされています。あるいは良心の声に従うという言葉があります。内なる促しに従うことを良心の声に従うと表現していますが、ここでは聴覚にたとえられる何かがあります。また仏教には薫習という言葉があります。これはブリタニカ国際大百科事典によれば「たとえば,香料と衣服を一緒に置くと,その香りが衣服に移り,衣服にもともとなかった香りが残るように,あるものの性質が他のものに移行することをいう。」意味のようです。サンスクリット語ではヴァサナというようで、唯識論で使われる言葉のようです。真宗では阿弥陀様のお慈悲が自らに働きかけていてそれを楽しむことを香りを楽しむことに例えている文献もあったと思います。

 

このように肉体の五感ではなく、いわば心の五感で感覚されるものが日本にはたくさんあります。これらはすべて心の機能の一部であろうと思うのですが、一般には心は感覚器官を伴っていると理解されてないでしょう。実際には身は体の一つの捉え方を表現したものなのかもしれませんが、そのあたりの事情は私にはよくわかりませんし、ただ最近私は身を心とも受け取れるのではと思ったわけです。一つの言葉をきっかけにさまざまなことが考えられます。おもしろいものです。