人生の意味

 

今日は人生の意味について書いてみます。人生の意味について私は若い頃を含めあまり考えてきませんでした。目の前の課題に取り組み、乗り越えることに一生懸命でした。もしかしたらですが、人生の意味について考える人は裕福で余裕のある生活をしているケースが多いのかもしれません。人生の意味について書いてみようと思ったのは、次の文章をTwitterで目にしたからです。

 

Perfect freedom is not given to any men on earth because the very meaning of mortal life is a relationship with and dependence on another.
(完全な自由は地上の誰にも与えられていません。なぜなら、この世における人生の意味自体が、他者と互いに関わり合い、依存し合うことにあるからです。)(1979.10.20)(『プレマダーラ 愛の流れ』p62)

 

人間に自由がないのは私は理解しているつもりです。何らかのものに少しばかりでも気を使いながら行動している人はみな自由とはいえないでしょう。それでも個人的な体験からいえることは、なすべき義務を果たし続けていたら、年をとる毎に自由の感覚で体が満たされてくるということです。自由は背負ってきた重荷を降ろした時に感じます。

 

さて、引用した文章ですが、この世における人生の意味は「他者と互いに関わり合いこと」、「依存し合うこと」にあると書かれています。地球の裏側にいて顔を見たことのない人と関わることは少ないでしょうし、そういう人への依存度もかなり少ないはずですが、一方で家族や職場の人、あるいは地方自治体や政府にはそれなりに依存していたり、関わりがあるものです。私も神への依存がありますし、国にも恩義を感じています。親族との間に義務は少しばかり残っていたりしますし、その他もろもろ含めて網の目のようなものに絡まれています。まったく縁もゆかりもない人と人生が重なることはないといってもいいのでしょうし、しかし関係が多少なりともある人とは依存関係、協力関係があります。人生がある種のドラマにすぎないのだとしたら、ドラマが生じるのはそのような人たちとの間にです。

 

たとえば私の体調が急に悪化するとしたならば、病状によっては死の危険もありますし、そのような場合、入院や死後のことを人に託しておかなければなりません。私が託すその人との間の関係に人生の意味があります。友好関係、信頼関係を築くこと、あるいは関係の修復です。私はさまざまに国に依存しているので、国への恩義があります。他の人はどうかわかりませんが、私はできる範囲で国への恩義を少しでも返しておきたいと思っています。政治への不満がないといえば嘘になりますが、それは脇においてできることはしたいと思っています。それは私が今生きる人生の意味の一つです。神やグルに対しても恩義があります。私がそれに対してできることは帰依という選択をすることです。その他にも、人生において出会うありとあらゆる人との間に、かすかであるとしても協力すべきことや依存(持ちつ持たれつ)の関係があります。それらが生きる意味であるというのが引用した文章の述べるところです。

 

人は四種類いるといいます。完全にエゴに従って生きる人、利益を最大の関心事とする人、人間関係を含めた諸関係の中に生きる人、諸関係を越えている目的に生きる人です。人生の究極の目的は解脱なり束縛からの解放なりといわれますが、つまりは諸関係からの解放といえます。人生の意味は、協力関係や依存関係の中で、それらから解放されるか、あるいは逆にさらなる束縛がもたらされるかというところにあります。

 

人生がドラマであるというならば、淡々と自らの役割を演じ続けるだけです。台本は義務あるいはダルマです。義務をすべてきちんと果たし終えたならば、人は解放されると聞きます。協力関係や依存関係の中で自らの役割を上手に演じたいものです。