愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

ブルグヴァリ

 タイティリアウパニシャッドというウパニシャッドがあって、その中の一部にブルグヴァリというものがあります。その中に次の詩節があります。
 アンナム プラーナム チャクシュ(フ) シロータム マノー ヴァーチャミティ
 (ヴァルナはブルグにまず食物、生命原理、視覚、聴覚、マインド、話す力について教えました)
 ブルグは父ヴァルナに神について教えてくださいと尋ね、それに対して父がブルグに対して神に関する知識を求める上でまず必要なことを答えた箇所です。


 ブルグが神を探求する過程は興味深いものですが、それは外部に神を探すことではなく、自らのうちに神を探す過程であったからです。それはいわゆる5つの鞘(食物の鞘、生気の鞘、マインドの鞘、理知の鞘、至福の鞘)を特定することによって行われました。


 肉体は食物でできているので食物の鞘とされます。生気の鞘は呼吸や消化の働きなどの人間の体を動かす力のことで、またさらには視覚や聴覚などの五感を機能させる力のことです。マインドの鞘とは頭脳で機能し感知される実体のことで、理知の鞘は信仰や識別の領域です。理知の鞘は言語によって統合されると私は受け止めています。つまりヴァルナが必要なこととして答えたアンナム プラーナム チャクシュ(フ) シロータム マノー ヴァーチャミティは至福の鞘以外の4つの鞘に関係しているとみなすことができ、これらの機能を理解することが自らのうちに内在する神探求に有益だということです。


 食物、生気、視覚、聴覚、マインド、話す力(アンナム プラーナム チャクシュ(フ) シロータム マノー ヴァーチャミティ)の機能を理解するには瞑想的な視野でそれらを観察ことが必要となるでしょう。また食物、生気、視覚、聴覚、マインド、話す力から余計な汚れを取り除き、それらのありのままの姿を見てこそ初めてそれらを正しく理解することができます。


 ここで思い起こされるのは、お釈迦様の説かれた八正道です。八正道は視覚や聴覚、言葉、行為、思いなどを清らかなものにすることですが、世の苦しみに悩み続けていたお釈迦様がそれらを清らかにすることで内なる至福=人の本性、つまり苦を超越するものにたどり着いたということは、まさにお釈迦様がブルグの探求を実際に行ってきたことを示すものです(お釈迦様はヴェーダウパニシャッドに敬意を示していたと聞きます)。私の師はこの過程をエデュケアと呼び、真の教育はこのような探求を含むものでなくてはならないとおっしゃっています。


 実際に自己探求を進めていく上で必要なことは、次の言葉に要約されるのではないでしょうか。
 「あなたがどのように話し、何を聞き、何を行うか、何を食べるか、人生のすべての歩みを細かく分析(注意して検討)しなければなりません!私は正しいことをしているだろうか? それは霊的に大丈夫だろうか? 私は正しく考えているだろうか? 正しく話しているだろうか? 正しいことを行っているだろうか?」(参考:こちらの29ページ


 自らの行為・感覚のさまざまな面を正しく用いようと努めても、深い自己理解がなければ納得のいく答えが得られないことは多々あり、探求を重ねて人が最も内奥の至福の鞘=人の本性にたどり着いたときに、それなりに満足のできる人間としての振る舞いができるようになるのでしょう。


 タイティリアウパニシャッド以外に数多くのウパニシャッドがあるようですが、どれも深い内容をたたえていると聞きます。インドの英知の深さの一端です。
 (特に今日はインド哲学について知識のない人にはわかりにくいことを書いてしまいました。お許しください)