魂の力

「この夢のすべてが消え去るときがやってきます。私たちの誰にも、いつか必ず、この全宇宙が単なる夢に過ぎないことに気づき、魂はそれを取り巻く様々な事象よりもはるかに素晴らしいものだと知る時が訪れます。環境と呼ばれるものとのこの苦闘の中で、やがて、これらの環境が「魂の力」に比べればほとんど無に等しいものであると気づくときが訪れます。それは単に時間の問題であり、時間は無限なるものの中では何の意味ももちません。それは大海の一滴です。私たちはただ待ち、穏やかな心でいればいいのです。」(プレマダーラ p.13)

 

「環境と呼ばれるものとのこの苦闘の中で、やがて、これらの環境が「魂の力」に比べればほとんど無に等しいものであると気づくときが訪れます。」とあります。環境が「ほとんど無」とまではいかないものの、環境の自分への影響力は年齢を重ねる毎に小さくなってきているのを感じます。若い時は、コンクリートで自分の周りが固められたといえば大げさですが、そうたとえてもいいくらいに環境にがんじがらめにされているように感じたものです。しかし今は当時に比べれば、心ははるかに穏やかで、環境による強制力は小さくなってきました。今日はこのあたりのことについて少し書いてみます。

 

私は40歳までは、どうしてこんなに考えてしまうのかというくらい考えて考えて考える人生を過ごしてきました。40歳時点で普通の人が60年かけて考えるくらい考えたと思います。それが40歳頃になって不思議と考えなくなりました。今何らかのものが書けているのは、その蓄積のおかげがあるかもしれません。考えることが減ってから約15年経ちますが、この15年の間は、人間としてどうしても果たしておかなくてはならない義務に携わざるを得ませんでした。幸いなことにそれを果たし終え、今は普通の日本人が80歳を越え、いつ死んでもいいと思う程度には、私も今死んでもほぼ後悔がない、やることはほぼやったという気持ちはあります。そのように義務からかなりの程度解放されてしまえば、外界=環境の強制力は自然に小さくなってきます。これは一つの真実であると思われます。

 

 「私たちはただ待ち、穏やかな心でいればいいのです。」とありますが、私の個人的経験からは、「気持ちの上ではただ待つのだけど、しかしなすべき義務は着実に果たし続けるべきであり、しかし結果は約束されているので、心穏やかでいればいい。」ということになります。着実に義務を果たし続ける期間は人によってそれぞれでしょう。生まれてから30年、50年、60年、80年かかるかもしれません。子をたくさんもうけ、責任の重い役職などにつけば、当然それに伴う義務の量は増えます。人が何を望みどのような人生を選択してきたかによります。義務からの解放は祝福といっていいでしょう。義務は人の魂の力を強化します。

 

もう少し別の面から「魂の力」について見てみましょう。人間とは意識のことであるといえます。いつも全身が意識で満たされているのを自覚できていれば、つまり意識としての自分を意識できていれば、それはつまりomnipresent=遍在する今=現在を生きていることを意味しているでしょう。自分が意識であることを自覚できていれば、いわゆる世界つまり外界に意識の焦点があたることはなく、世界はぼんやりと存在することになります。意識の焦点が世界の事物に向けられれば、その事物は現実性を帯びます。意識が再び事物から外れ、自らの存在が意識の海に戻れば、世界はまたぼんやりとした映像となります。そのような状況においては、映画がいかに真にせまっても結局は単なる映像に過ぎないように、魂=自分を取り巻く外界の映像は自分に影響を与えなくなります。それが自分=魂と外界=環境の関係です。

 

さらに見てみましょう。自分を取り巻くどの部分にも私は意識を向けることができます。たとえば台所にいて食材が冷蔵庫にあり、それを意識したとします。私はその状況に関与します。私は食事を作ります。私は世界に変化をもたらしました。しかしその状況から意識を外せばそれは現実性を失います。私は環境の一部を手にとり、一部操作して、それを手放しました。自分を取り巻く環境は、そのように様々な操作を受け入れるポケットのようなものです。環境の別の部分を手にして操作すれば、またその部分のポケットに何かを蓄えたことになります。環境のどの部分を手にして操作するかは自分次第です。芸術家が時間をかけて作品を作るように、私いえ私たちは環境=外界=世界を作っています。ただそれだけといえばそれだけです。このような視点をもてば、「魂の力」ははるかに環境より強い力をもっていると見えないでしょうか? ここで述べたことの根本を支えるのは、意識である自分を自覚し続けておくということです。

 

サイババによればCIA(constant integrated awareness いつも意識に満たされている自覚)はプラグニャーナ(般若)だそうです。この状態にある時、外界は自らにほとんど影響を及ぼさないといえるのでしょう。私はまだ完全でないので断言はできません。CIAは自己実現を果たした人あるいは聖者の状態を示す言葉といえます。外界=環境の影響をまったく受けなければ、それは解放されているともいえます。外界に意識が向くのは欲望や執着あるいはやり残している義務があるからです。欲望や執着は義務を果たし続ける一貫した努力によって少しずつ取り除かれていくはずです。

 

魂の力を引き出すとは、つまりは自らの意識をサーダナ(霊的規律)で浄化し、欲望や執着、エゴなどの汚れを取り除くことであり、また義務を完了するよう努めることであると思われます。そうしながらあとはただ全宇宙が単なる夢であり魂の力はそれよりはるかに優れているのに気づく時をゆっくり待てばいいということなのでしょう。