人間の義務

憲法で定められた日本国民の三大義務は教育の義務、勤労の義務、納税の義務とされているようです。法的に細かいことはわかりませんが、これはこの通りに受け取っていいものでしょう。一方で、霊的な見解として次のような言葉もあります。
 
「人間全体の義務は、肉体を使って善い行いに従事し、微細体を使って善い思考と善い影響を自分の周りにまき散らし、原因体を使って神我顕現と至福を得ることです。」(1972年11月23日サティヤサイババ
 
法的な三大義務とは印象が異なってはいます。ただし、この言葉は教育の目的を示してもいて、教育を受けさせる義務と通じてはいますし、もちろん善い行いをすることも勤労の義務と通じています。法律の遵守も善いことなので、自然に納税の義務も守られることでしょう。
 
まず、肉体・微細体・原因体について簡単にふれておきます。ヨーロッパにはエーテル体、アストラル体などの言葉があって、微細体や原因体と異なっているようでもあり、近いようでもあり、私は詳しくわかりかねるのですが、微細体、原因体ならば多少は理解できます。食物鞘、生気鞘、心気鞘、理智鞘、至福鞘の5つの鞘については私は過去かなり探求してきましたが、肉体は食物鞘と生気鞘からなるらしくて、微細体は心気鞘と理智鞘からなり、原因体は至福鞘のことのようです。魂という言葉は少し手垢がついた言葉ではありますが、体と心と魂というようなものかも知れません。
 
次に何が善いのかという問題がありますが、善いものは人を喜びや平安、幸福、達成感などで満たします。深く考えなくとも、自分や家族の生活を成り立たせることから始まって、より広い周囲の人たちの福祉や幸福に貢献するものであれば善いものなのではないでしょうか?
 
「肉体を使って善い行いに従事する」。善いことをするということです。可能な範囲で自分の面倒を見ることも含まれます。労働、家事、奉仕その他なんであろうと仕事をするということでしょう。
 
「微細体を使って善い思考と善い影響を自分の周囲にまき散らす」。微細体は頭脳と理智(知性)のことです。善いことを考えなさいということが一つあります。善い影響はさまざまに解釈できそうですが、一つは識別を用いて道徳的・倫理的に正しくあることを含むのではないでしょうか。善い思考や善い影響を意図して自分の周囲にまき散らすことができるかどうかはわかりませんが、善いことばかりを考えていたら、道徳的・倫理的に正しくあろうといつも心がけていたら、自然に周囲の人に通じるところはあるでしょう。
 
「原因体を使って神我顕現と至福を得る」。原因体を使うというのがどういうものなのか少しわかりづらくはあります。遠回りですが、ウパニシャッドを引用します。至福鞘が何からできているかについて述べた箇所です。
タスヤ プリヤメーヴァ シラハ: モードー ダクシナ パクシャハ: プラモーダ ウッタラ パクシャハ: アーナンダ アートマ: ブランマ プッチャン プラティシタ:(至福鞘の頭は愛であり、喜びは右の翼、歓喜は左の翼、至福が胴体で、ブラフマンがそれらを支える)
プリヤは愛であって、愛の行為をしなさいということになります。モードーは神の教えに従って行動するとの解説を読んだことがあります。プラモードは自分が神であるとして振る舞うこととの解説を読んだことがあります。この3つに従えば、至福=アーナンダを得ることができて、神我=ブラフマンの顕現が得られるのではないでしょうか。
これを完璧に実行することは難しいこともあるでしょうが、少なくとも自分なりに試みることは誰にでもできます。
 
人間は肉体と微細体と原因体の3つが組み合わさったもので、いわゆる死ぬときに死ぬのは肉体だけで微細体も原因体も死なないようです。これらの3つの体を正しく使うこと。そして正しく使うためにはその性質を多少なりとも探求しなくてはなりません。そして正しく用いることができるならば、それはおおむね善といえるでしょう。正しく用いた時に人は幸福なり平安なりを得られるのですから。
 
 
人間は義務の遂行だけで人生の目的、生まれてきた目的を達成できるようです。義務をすべて果たしたならば、神は人間を解放するという約束を読んだことがあります。親として、子として、配偶者として、社会人として、その他諸々義務を含んでいます。