愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

デザイン

ここ最近、デザイン思考をはじめとしてデザインという言葉をしばしば耳にします。多くの人がさまざまにデザインについて語っていますので、まったくの素人ながら、また我田引水でもあるでしょうが、自分の関心のある領域に関連させてデザインについて語ってみようと思いました。
 
一般的にはものの姿かたちをデザインと言います。手にとって見れる小さなものだけでなく建築などの大きなものを含めてです。美しくて実用的で飽きのこないデザインというものはあるのでしょう。私の家にあるものとしては、キッコーマンの醤油差しなどが思い浮かびます。
 
デザインとは余分なものを削ぎ落として(de)本質を表現(sign)するものと理解する人が多いようです。そしてその目的は、何かの問題解決を目指すことや逆に問題を提起することなどが挙げられます。私はまったくこれらの見解に反論するつもりはありません。私は何か製品を制作することを業としているわけではなく、普段はほぼデザインとは無縁であって、専門家に比べて万に一つの知識もありません。しかし、言葉遊びのようなものと受け取っていただいて構わないのですが、デザインについて書きたくなったのです。
 
design = de + signと分解できます。signはサイン=記号です。deには次のような意味があるようです。”used to add the meaning "opposite", "remove", or "reduce" to a noun or verb”(反対の、取り除く、減らすという意味を名詞や動詞に付け加えるときに用いる)。先に挙げましたが、余分なものを削ぎ落として(de)本質を表現(sign)するというのが広く行き当たっている受け取り方です。私は自己流にsign(記号)をde(解体する)と受け取ってみたいです。つまりsignの破壊です。なぜならば、真に優れたデザインの商品や建築などが現れたならば、それ以前のものが廃れ、なくなっていくことが多いからです。最近の例では、iPhoneスマホ)というものが登場したおかげで、従来のコミュニケーションや情報のやり取りが大きな変容を被っています。何かに関するデザインが一つ提示されることで、従来のものが急速に陳腐化してしまう、つまり破壊的影響を被ります。私はそちらの方に目を向けたいのです。

実際にはデザインはものだけでなく、社会制度や人々の生き方など幅広いものを対象としています。社会制度が破壊されることもあるでしょうし、人々の生き方が変化しだすこともあります。何か本質に関わるものは従前のものに多かれ少なかれインパクトをもたらします。法律もそうです。一つの法律が制定されることで場合によっては人々の生活に多大な変化が生じます。私はデザインの目的を「何かを破壊することで人々がより自由に生きれるようにすること」と定義してもいいと思います。
 
創造→維持→破壊のサイクルがあります。何かが生み出され、それが維持され、最終的に破壊されます。ものが生産され、それが使用され、いつの日か故障してゴミとなるサイクルといえばわかりやすいでしょう。破壊された後は再び創造に戻ります。デザインが破壊を目的としているならば、その後には創造が来なければなりません。人々を縛ってきた何かが破壊された後、人は自由ではありますが、状況の中で生きていく中で試行錯誤が行われ、何か自然なプロセスを経て新たな生成が各人においてなされます。いわゆる商品などを通じて提示されたデザインは、あくまでも現実の一つの提示であって、その周辺領域において人は各人にふさわしい何かを生成します。
 
ここからが本題です。霊性においては、実際に人がある生き方を提示し、一見不可能であると思われることが可能であると知れ渡ったとき、あるいは目を皿のようにして手本となる人を探し続けている人々の評価に耐える生き方をすることにより、自分と自分の周辺でゆっくりとしかし着実な変化=創造=変容をもたらします。霊性とは命が常に新しいことであり、古い枠組みや伝統の中で重箱の隅をつつくような生き方とはまったく異なります。つまり本質において霊性は破壊とそれを通じての創造を意味します。であるからし霊性とデザインには通じるところがあると思います。余分なものを削ぎ落とした本質という意味を霊性の概念は含んでいます。私が霊性に可能性と進取性と更には美しさや現代性などを感じている理由がそこにあります。