愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

Life is a dream, realize it. -2

Life is a dream, realize it. については約3年前に書いたことがあります。人生が夢であることに気づきなさい、そして望みという意味の夢を実現しなさいということについてです。実はもう一つ意味があるかなと最近気づきました。

 

「みんな勘違いしてんだ。人生に物語はねえの。ぶつぶつ、ぶつぶつ、途切れ途切れに、脈絡のない物事が起こるばっかで」(朝日新聞:折々のことば)

 

私には、人生が睡眠中に見る夢に似ていると感じることは多々あります。幻のようなものという意味でもありますが、今日は奇妙奇天烈な、とりとめがないという意味で夢に似ているという視点から述べます。上に引用したある日の折々のことばには、そのことが示唆されています。人生は脈絡のないことが起こります。人はそういうことを無視したり、あるいは逆にそれが気になって仕方のない人もいるでしょう。脈絡のないことに耐えられず、人類は物語というものを発明し、人生を物語として語る習慣をもったのかも知れません。とにかく、私たちが覚醒中にそれを生きている人生というものは、何かよくわからないことがしばしば起こり、まさに睡眠中に見る夢に似ています。

 

正直なところをいうと、自分の人生が必ずしも一般的な様相を呈してこなかったので、私は若い頃から人生の不可解さにもてあそばれていたところがあります。真剣にそれを理解しようとしても理解しかねるところがあり、結局のところ「人生は夢である」ということを受け入れることになりました。Life is a dream.です。

 

では、realize it.とはどういうことでしょうか? (夢を)実現する、(夢であることに)気づくという意味はもちろんありますが、現実はrealityともいいますので、realizeは夢のように奇妙奇天烈な人生をrealなものにする、それに現実を付加するとの理解は可能です。夢のような人生が現実的なものであるために必要なものは何でしょうか? 人生を物語として語ることは一つの解決法でした。しかし他にも方法はあるはずです。結論からいえば、それは霊性なのだと思います。真の自己(アートマ)こそが現実=realなものであり、霊的な生き方こそが夢のような人生を従えてそれをコントロールするのだと思います。

 

霊的な生き方は人さまざまですが、私の狭い範囲の体験を書きましょう。 若い頃は、人生において不可解なことが続くと、それほどひどくはなかったと思うのですが、陰謀論というものが意識を占めることがありました。後に、人生というものがそもそも奇妙なものであることに気づいてきたので、陰謀論に関心はなくなりました。奇妙な人生は理性にとってある意味耐え難いものです。どうすればいいのでしょうか? 私はひたすら愛する神の御名を唱えていました。肉体が傷ついたときに免疫の力で傷が修復されるように、穴の空いた容器が何かで塞がれるように、愛する神の御名を唱えていると、不可解な現実が温和な表情を取り戻すのです。気のせいだよといわれても構いません。信仰とはそういうものだからです。そして心の平安は現実でもあるのです。私は主に神の御名を用いますが、瞑想や愛などの手段によって人生に現実を取り戻すことも可能でしょう。

 

多くの人は人生に何も問題はなくうまくいっているというような顔をしています。実際のところは、ほとんどの人がその不可解さにどう対処していいのかわかっていない可能性は高いと思いますが。不可解さを理解可能なものにするために人々は何かに駆られたようにAIというものを開発しているのかも知れませんし。海の表面は波立っていますが、海の底は静かだといいます。霊性とは大海にも似た存在の深みへと潜ることであって、夢のように不可解な人生の表層から距離を取ります。しかし人生=海を放棄することはありません。あるいは表面的な人生とは別の現実=人生があるともいえます。人生と現実の対比をしてみるのは有意義なことです。