コンストラクタル法則(『流れとかたち』を読んで)

 正確に言えばまだ読み終わっているわけではないのですが、久しぶりにおもしろそうな本に巡り合いました。『流れとかたち』(エイドリアン・べジャン&J・ペダー・ゼイン著)です。ほんの十分の一ほどページをめくっただけでいろいろな思いが湧いてきます。つまり啓発的な本、インスピレーションを与えてくれる本なのです。この本は分類としては科学哲学の範疇なのだと思います。


 新たな物理法則にまつわる書です。その物理法則とは「有限大の流動系が時の流れの中で存続する(生きる)ためには、その系の配置は、中を通過する流れを良くするように進化しなくてはならない(コンストラクタル法則)」というものです。著者は機械工学が専門だったようですが、ある講演を聞いて無機物と有機物を貫く共通の原理が頭にひらめき、コンストラクタル法則に思い至ったようです。例えば熱力学には、エネルギー保存の法則や温度や圧力が高いところから低いところへ流れるといった定性的な法則があるのですが、そのようなたぐいの法則になります。この法則に沿って諸現象をどのように式で記述していくのかは専門外の私には皆目見当がつきませんが、今このコンストラクタル法則に従って、諸現象がさまざまに検証分析されているようです。


 著者は本の見開きで「世界を動かすのは愛やお金ではなく、流れとデザインである」と記していて、エネルギーや水や風などさまざまな流れとそれを流すデザインを各所で強調しています。デザインについての見解もおもしろいものです。デザインは次のように定義されています。「特定の目的をもって材料を配置したり、変化させたり、組み立てたりすること、つまり、今日何かを持ってきて、明日には何か別のものになるように、意図的に変えることだ。」このデザインについてはいつかまた別の機会があれば触れてみたいのですが、今日は他の観点からコンストラクタル法則に関して思うことを述べます。


 著者は、世界を動かすのは愛やお金ではなく、流れとデザインであると述べていますが、私の見解では世界に起こるさまざまな現象における流れの本質は愛のことです。人が何かを食べるのは一つの流れですが、それは自らの存在への愛によっています。お金も愛の流れを促す一つのデザインです。著者は西洋文化の中で育ってきたので、生命の流れを愛と結びつける発想がなかったのかもしれません。私はかつて別の学者が「自然界には重力の力、電気の力、原子の力などさまざまな力があるけれど、それらは究極的に愛の力に統合されるのではないか」と述べていたのを読んだことがあります。素人の直感ですが、コンストラクタル法則には妥当性があるように思え、それが今後さまざまに検証されていったときには、自然界の究極の力が愛(流れ)の力であるという見解が真であるとみなされる時が来るかもしれません。


 もう一つコンストラクタル法則と愛の関係で思ったことを書いておきます。
 人間の体が与えられた目的は奉仕をすることだとされます。日本で日常的に暮らしていれば、この見解が少しわかりにくいかもしれません。しかしながら、あるものの生存のために流れを良くするための配置が求められるのならば、そしてその流れの本質が愛であるとした場合、人間の肉体が奉仕に携わった時に人間の内を愛が流れていくことになるので、結局のところ、人間の肉体の目的は奉仕であるという結論がコンストラクタル法則から導かれます。奉仕とは人間の内なる愛を世界に流すことです。澱んだ水は濁りますが、流れる水は清らかです。愛は奉仕という水路(流れ)によっていつも新鮮であり続けます。愛は人生です。


 科学哲学の本を我田引水的に霊性の分野に援用しましたが、私はそれほど的はずれだとは思っていません。コンストラクタル法則は狭義の物理現象だけでなく、生命現象や進化論をも射程に含めた法則であり、それは人間の生き方まで拡大できるはずだからです。まだこの本を一部分しか読んでいませんが、今後時にページをめくってみたいと思っています。まだまださまざまなインスピレーションが得られそうですから。