愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

インド1

 いつもは自分で考えたことを書くことが多いのですが、今日は今までにさまざまなところで聞いたことのまとめとしてインドについて書きたいと思います。
 
 インドと日本のつながりは古代の仏教伝来に代表されるように古いものです。しかしながら現代は西洋の影響が非常に大きく、インドについてほとんどの人がよく知らない状況です。インド文化は非常に優れたものなのですが、人々はそこに目を向けません。今インドが日本から学べることよりも、もしかしたら日本がインドから学ぶべきことの方が多いのではないかと思うくらいにインドは文化的に豊かであり優れた人が多く育っています。日本の現状が苦々しく感じるほどです。
 
 インドは世界の中で独特です。インドにしかない特徴が数多くあります。インドとそれらの特徴はまったく切り離せません。
 
 誰の言葉か忘れましたが、インドはヴェーダの国で、アヴァター(神の化身)が唯一地上に降誕する地で、サナタナダルマを世界中で最も信奉する国で、そしてヤグニャというものが行われる国とされます。
 インド、ヴェーダ、アヴァター、サナタナダルマ、ヤグニャの五つは分かち難いものです。これらは一つのものを指し示す五つの異なる言葉とされます。
 
 地理的には南アジアにあり、ヒマラヤ山脈の南側に位置する大地がインド亜大陸です。
 ヴェーダについてはこのブログで触れたことがありますが、ヴェーダとはインドの聖者方が感知したこの世界の息吹・声ともいえるものです。インド文化の根幹とされます。アヴァターとはこの世界を創造し維持しすべてが最後にそこに帰融するところの絶対者が人間の姿を取って地上に降誕した方のことです。ラーマやクリシュナ、そして現代ではサイババがアヴァターとされます。サナタナダルマとは永遠のダルマという意味で、ダルマとは人間が従うべき道のようなものといえばいいでしょうか。ヴェーダを探求することによって人に示される人の生き方とその伝統です。ヤグニャとは護摩炊きのようなものですが、これもヴェーダに記されている礼拝の儀式です。また犠牲を払うことの象徴でもあります。
 
 ヴェーダは世界に遍在していても、インドでのみそれが保たれ維持されています。霊的な鉱脈が豊富で霊性に対して理解のある人々が飛びぬけて多いインドにおいてのみアヴァターの意義は理解され、インドにしか化身しないとされます。他国にアヴァターが降誕してもほぼ理解されることはなく無視されるでしょう。ダルマも普遍的なものですが、インドにおいてこそ多くの人に実践されています。世界中の道徳の源とでもいえるもので、その高貴さに比べれば他国で行われる善行は児戯に等しいものかもしれません。ヤグニャについては私はその意義を詳しく知らないのですが、他の言語が他の人間とコミュニケーションをとるのを目的としているのと異なり、サンスクリットマントラを通じて神々とのコミュニケーションを行う儀式がヤグニャなのだといっていいかもしれません。
 
 ヒマラヤ山脈が世界にそびえたつのと同じように、インド文化は世界にそびえたっています。世界における孤高の存在です。
 
 もしかしたら、私が述べていることはインドを持ち上げすぎだと感じる人もいるかもしれませんが、西洋文化を持ち上げすぎてきた日本人の今までの物の見方が少し偏っているのであり、私がインドについて語っていることは妥当といえば妥当な見解です。日本ではほとんど見られないような、バランスの取れた人格を備えたインド人が多くいます。
 
 日本のメディアで流される情報は偏っています。メディアで働く人がバランスが取れていないからだと思うのですが、公平に物事を見ることができる人ならば、インドは新しい時代の希望の光といえる存在です。少しでいいのでインドに関する適切な報道がなされればいいのにと思うことがありますが、そういう状況にないのが現代の日本です。