愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

アーナンダヴァリ 至福の11段階

 

私は霊性の道を進むように心がけていますが、霊性の道を歩んでいるとときに人から耳にすることがあります。それは意識レベルは何段階あるとか、人間の成長のレベルは何段階あるとか、瞑想の段階は何段階あるとかそういう類のことです。かつてそういうのに多少惑わされかねなかったのですが、私は正直いってそういうのには本来関心がありません。今の自分よりもう少し向上できるとずっと感じ続けていたので、その感覚に従って努力を重ねてきました。地道な努力ができない人に向上はありません。

 

たとえば瞑想で背骨を伝わせてクンダリーニを上昇させようと努力している人がいたりします。超自然的な意識状態に達することを目指しているのだと思いますが、こういうことは極めて適切な師のもとで行わないと、精神錯乱に陥ったり神経が麻痺するなどの危険があると聞きます。瞑想に限ったことではありません。超自然的な力や意識状態への到達を願って間違った試みをすると同じように健康に甚大な被害が出ると聞きます。ですのでそういうことはやめたほうがいいというのが私の見解です。私から見ればそういうことをする人たちは霊性の向上の名のもとに単なる「力」を手にすることを望んでいることが多く、自らのエゴに気づいていないのではないかと思います。霊性の向上の秘訣はエゴを取り除くことにあることを理解すれば、本末転倒です。

 

しかしながら、私なりにある種の段階について述べておきましょう。タイティリヤウパニシャッドの中にアーナンダヴァリがありますが、その中で至福の11段階が述べられています。人間の至福、マヌシャガンダルヴァの至福、デーヴァガンダルヴァの至福、ピトルの至福、アジャーナ天に住むものの至福、カルマデーヴァの至福、デーヴァの至福、インドラの至福、ブルハスパティの至福、プラジャーパティの至福、ブラフマンの至福の11段階です。人間の至福とは、この世の富をほしいままにし快楽も欲望も名誉も満たされた状態での喜びのことです。至福と呼べるものの中で、これは最低レベルの至福になります。ブラフマンの至福については私は語ることはできませんが、この宇宙を含めすべての世界を創造した人間の想像を絶する存在であるブラフマンが絶えずその状態にある至福のことです。

 

アーナンダヴァリは人間が自己探求を進めて肉体レベル、生気レベル、心気レベル、理智レベル、至福レベルへと向上していく道筋を示していますが、至福レベル(至福鞘)に到達したあとに至福の11段階がさらに述べられます。至福鞘に到達することはアートマ(真の自己)の理解といえるかもしれません。そこをとっかかりとしてさらに至福を深めていく必要があるのでしょう。お釈迦様の35歳ころの悟りはアートマの理解だったのかもしれませんが、80過ぎに至るまでの残りの人生で至福のレベルを深め涅槃に至ったという理解も一つの可能性としてできます。

 

例えば日本密教では意識レベルが10段階くらい記述されているようですが、あくまで私の受け取りに過ぎなく真理とは限らないのですが、私はそのような類のことを次のように理解します。つまり、人があるレベルの至福を味わっているときの精神状態のことであると。至福には人間の至福レベルを除けば10段階あります(あるいは人間の肉体をもってブラフマンの至福を体験できないならば、ブラフマンの至福を除いて10段階あります)が、味わう至福のレベルが異なれば、それに満たされた心や肉体のレベル・状態が変わってくるという理解です。運命の必然として人はアートマ(真の自己)を知らなければならず、さらにはブラフマンの本質とされる至福を体験することが神に至るということの意味でもあるとき、そこには精神レベルの向上も自然に伴うわけです。なので人間としての向上を望むならば、見せかけだけの喜びを求めるのではなく、至福と呼べるものを求めることが道理にかなっています。

 

何回か前のこのブログの記事で、人間の主体は心理学者が想定したものであると書きましたが、人が自らの主体=アイデンティティを人間(肉体に制限された存在)、マヌシャガンダルヴァ、デーヴァガンダルヴァ、…、プラジャーパティ、ブラフマンと拡大しそれにふさわしく行動することが、それにふさわしい至福と自己の拡大をもたらします。インドではヴィシュヌ神の住むところ(天国)をヴァイクンタというそうですが、正確には覚えていませんがその意味は愛によって維持され常に拡大し続けるもののことだと聞いたことがあります。ヴァイクンタ(天国)は人間の内にあるというわけです。

 

単なる感覚の喜びと変わりない幸福ではなく、この上ない至福を求めることは大いに勧められてしかるべきでしょう。そのために人は霊性の領域に足を踏み入れなくてはなりません。