愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

精神労働

 

このブログでかつて触れたことがあると思いますが、私は常々労働には、肉体労働、知的労働、感情労働とともに精神労働というものがあると思っています。一見精神労働は知的労働と受け止められてしまうかもしれませんが、私は異なるものと考えています。知的労働は知能指数が高い人が得意とする一方、精神労働は知能のレベルに関わらずほとんどの人が関わることのできるものではないかと思っています。精神労働に携わっていると思われる代表的な人は、聖職者やリーダー、社会的に恵まれない人たちなどが挙げられます。若者に比べて年配の人に精神労働に携わる人が多いかもしれません。

 

キューブラ―・ロス氏が述べています。重い病、不治の病、重い障害に襲われた人たちが、当初はそのことを受け入れることができず神と取引をするのですが、のちに自分が置かれた状況を少しずつですが受け入れることができるようになると記しています。重い病、不治の病、重い障害に襲われた人々は、仮に知的にそれらを理解できたとしても、実際には自らの存在で病や障害を受け入れてはいないわけで、そこに至るに必要なもの、それは精神的作業、今日のブログで取り上げる精神労働といっていいものでしょう。なので社会的に恵まれない人たちを精神労働者に含んでおきました。

 

別の例えを上げておきます。ミミズは土を食べて土を吐き出します。しかし取り入れた土と吐き出した土は異なります。土を食べるという地味な仕事ですが、ミミズのおかげで土は少しずつ豊かになっていきます。海の領域におけるサンゴと同じで、大地においてミミズがいなければ大地がこれほど豊かになることはなかったとされ、ミミズは生態系において特に重要な存在です。そしてミミズが土に対して行うような作用を精神労働者は社会に対して行っています。聖職者たちは人々の心を耕します。リーダーは組織が機能する基盤を作り上げます。家事にもそういう面があります。家事が行わなわれていない家庭は家庭として機能していないでしょう。

 

具体的に精神労働がどういう過程を経るのか、私が実践している範囲で説明してみます。インドでは聴聞(シュラヴァナ)、反芻(マナナ)、実践(ニディディヤーサ)という三つの段階が考えられています。

 

シュラヴァナは聞くことです。主に霊的・宗教的な話を聞くことですが、一般の講演でもいいかもしれません。とにかく何か啓発的な話を聞くことが出発点です。漫然と聞くのではなく、よく注意して聞きます。日本人には人の話を聞くときにメモをとる人がいますが、メモは必要ないでしょう。話を注意して聞いて、例えば1時間の話を聞き終わったとき、話のすべてを覚えていなくともいくつか心に残る内容があるはずです。それが自分にとって必要なことです。他の部分が記憶に残らなかったとしても、記憶に残った部分を大切にすればいいわけです。

 

次はマナナです。マナスは心でマナナは心で反芻することです。牛が干し草をむしゃむしゃと食べるように、聞いた内容、心に残った内容をある程度時間をかけて反芻していきます。その話のポイントは何か?その話は自分とどう関係するのか?その話を生活に取り入れるにはどうすればいいのか?その話の表面的な意味の奥に深い意味はないか?などなどじっくりじっくり考えを巡らすわけです。そういう作業を行うとそのうち自分に納得できる理解に到達します。必ずしも知的なことが要求されているわけではありません。自分のレベルで理解・納得できたと思えればそれでいいでしょう。

 

最後にニディディヤーサです。これは実践です。マナナの段階で聞いた内容の価値が明確になりましたが、それを実際に生活の中で実践する段階です。マナナは食物を口で咀嚼するのに似ていますが、ニディディヤーサは口で咀嚼された食物が胃や腸に送られて吸収され体の一部になることに似ています。価値は誠実に一定期間(何ヶ月か何年あるいはそれ以上)実践されて自らの存在の一部になります。実践がうまく行かない場合は再びマナナの段階に戻って考えをめぐらし直すことも必要でしょう。

 

シュラヴァナは耳という感覚器官つまり肉体レベルのことです。マナナは心のレベルのことです。ニディディヤーサはそれを存在のレベルに取り込むことです。レベルが深まっていきます。食事の時の祈りに「アンナムブランマー、ラソーヴィシュヌフー、ボクターデーヴァマヘーシュワラ(食物はブラフマー神、そのエッセンスはヴィシュヌ神、食物を消化し行為するものはシヴァ神(マヘーシュワラ神))」というものがあります。シュラヴァナ、マナナ、ニディディヤーサの三段階はこれに相似して、食物とエッセンス(本質)と行為に対応しています。インドではブラフマー神(創造)とヴィシュヌ神(維持)とシヴァ神(破壊)の三神の組み合わせが至高神となります。人間もシュラヴァナ、マナナ、ニディディヤーサをゆっくりとしかし地道に繰り返すことで完全な人間へと近づいていくのでしょう。そして私がこれまでに行ってきた精神労働をわかりやすく語るとすれば、このシュラヴァナ、マナナ、ニディディヤーサになるわけです。


―「人生のゴールに到達するためには、聴聞(シュラヴァナ)、反芻(マナナ)、実践(ニディディヤーサ)という三つ段階すべてを経なければなりません。」(サティヤサイババ1983年7月24日)