一隅を照らす

正確に覚えているわけではありませんが、次のような詩句(言葉)を最近見かけました。

「我唯足るを知る

清貧の一灯

一隅を照らし

利他の行を行う」

我田引水的に理解すれば、これはサイババの示す9つの行動指針の1つです。すなわち「欲望に上限を設け、余った時間やお金などを奉仕活動に役立たせなさい。」という指針です。

 

「我唯足るを知る」とは満足のことです。肉体を維持するのに必要な食物と衣服、雨露をしのげる場所に加え、精神の糧となる書物や心が固くなった時に気を紛らわすリクリエーション(娯楽)が少しばかりあれば十分です。これで生活は足ります。先行きを不安に思い富を溜め込みたくはなるでしょうが、未来のことはわからないもので、不安の内に一生を過ごしても仕方ありません。悪いことをしなければ未来はそうは悪くならないものです。富が手元にたくさんあったとしても、本当に必要なものはそう多くはないと理解するのがいいでしょう。

 

「清貧の一灯」。生活を維持する支出の他は少しばかりでいいので奉仕に役立てようと思いさえすれば、その思いこそが一灯です。Love is the soul’s light.というルーミーの言葉があるようですが、愛の思い、愛の光ですね。大事業をやろうとすれば大きな財産が必要かもしれませんが、ほんの10人弱程度の少しばかりのニーズを満たすのに大金はほぼ必要ありません。

 

「一隅を照らす」。太陽ですら地球の半分しか照らしません。文明の利器として人類が誇りに思う照明器具は10平方メートルかそこらを照らすくらいです。愛の光は世界の一部と人の心の中も照らすでしょう。そしてその光は真実を示し平安をもたらします。皆とはいわないまでも、ある程度の人がそれぞれの場所で一隅を照らすことができれば、もうそれは黄金時代の到来だといっていいものです。

 

「利他の行を行う」。仏教では利他の行は菩薩の行、すなわち仏陀に等しいものを目指すものの行だそうです。利他の行は奉仕です。また布施行です。他の人も自分と同じように尊いという思いがあるならば、その行は必ずや何らかの形で実を結ぶでしょう。

 

適切な態度で行われなくてはなりませんが、実際のところ奉仕するものにとって重要なのは、奉仕する相手が完全に満足することや相手から感謝の言葉をもらうことではありません。奉仕=利他の行は愛という水を流す水路のことですが、愛が自らの内から湧き上がりそれを周囲にまき散らす過程で、結果として自らが愛に満たされ愛で清められる。これが最大の効果です。たとえば台所や浴室の排水管が汚れて詰まりかけていれば、それをきれいにしないといけませんが、それを業者さんに頼んだり自分で掃除します。それに似て、奉仕=利他の行は心の汚れや詰まりを大ざっぱにしかしごそっと取り除くようなものです。細かい汚れは瞑想や称名によって取り除きます。心を浄化するのに奉仕が最も手っ取り早いと思います。なので、人生に行き詰まりを感じている人には私は奉仕を勧めます。その人が霊的な人でなくても、適切な奉仕活動にある程度携われば心のつかえが取り除かれ、気持ちの変化は起きやすくなります。

 

名越康文氏はそのツイートで、「自由は自分に詰まりがないこと、その瞬間の持続のこと。…」と述べていますが、自分の内の詰まりを取り除くことは大切です。そして外の世界の詰まりを取り除くことも重要でしょう。それによって自分も社会もよくなります。

 

世界が愛の光、清貧の一灯で照らされますように。そして人々がより自由を感じることができますように。