拡大が人生

 

先週はBroad mind is life, narrow mind is death.について書きました。mindは狭いよりは広いほうがいいと思います。mindが広がれば世界を見る目も変わります。より平安で幸せになることと思います。一方でmindが狭いと生きて行くのに窮屈でしょう。たとえば何においても狂信的な人というのはmindがかなり狭い人のことだと思いますが、そういう人は自分だけでなく他の人にも窮屈な思いをさせます。mindはできるだけ広い方がいいというのが私の意見です。

 

さてインドでは世界の維持を司るとされるヴィシュヌ神の住んでいるところはヴァイクンタと呼ばれます。ヴァイクンタはいわゆる天国のようなところです。もうだいぶ前になるのですが、あるラジオ放送を聞いているとヴァイクンタのことが話題に上がりました。その時それほど注意して聞いていたわけでないのでうろ覚えでかつ部分的にしか記憶が残っていないのですが、ラジオで話し手はヴァイクンタのことを次のように説明していました。「ヴァイクンタとは愛に満たされていて、清くそして拡大し続けているもののことです。」あともう2つくらいヴァイクンタの属性を述べていたでしょうが、私の記憶に残っていません。さしあたってヴァイクンタが愛の世界であり、拡大し続けていることを理解しておけばいいと思います。つまりmindであろうとハートであろうと愛に満たされていてそれが拡大し続けているならば、そこはヴィシュヌ神が住まわれるヴァイクンタ=天国なわけです。人のハートが愛に満ちて拡大し続けているならば、そこはヴィシュヌ神の住まいであるということです。私はよく神様は人の心にいらっしゃると聞くのですが、それは人の心が拡大し続けている場合にです。

 

インドには霊性に関する用語が山のようにあります。私はそのごくごく一部に触れているのみで、聞いたことのある言葉でも意味をあまり知らないものがほとんどです。サッティヤム グニャーナム アナンタム ブランマー(真理、英知、永遠はブラフマンである。)はウパニシャッドの有名なマントラです。サティヤ(真理)とグニャーナ(英知)については少しばかり知っていましたが、アナンタ(永遠)についてはよく知りませんでした。しかし少し調べてみますと、アナンタは始まりがあって終わりのない永遠のことのようです。始まりも終わりもない永遠はニティヤというようです。始まりがなく終りがある永遠にも名前がありましたが忘れてしまいました。アナンタは始まりがありますが終りがありません。永遠です。その意味を踏まえると収縮、収束するものではないような気がします。必ずしもそうかはわかりませんが拡大していくものを想起させます。未来にわたって終わりのないものです。

 

サイババは音楽をこよなく愛するお方ですが、サイババがしばしば歌われていた歌に「Love is my form, truth is my breath, bliss is my food.」があります。この歌の中に「Expansion is my life. No reason for love, no season for love.」という歌詞が出てきます。サイババは自分の人生は拡大の人生であると歌っているわけです。実際にサイババの伝記を読んだり聞いたりすればその通りであることがわかります。拡大が好ましいものとして述べられています。

 

私は思秋期を経てあと5年もすれば高齢期に入ろうかというところです。これまで生きてきた期間より短い時間しか人生が残っていないとなると、人生を整理して縮こまって生きていきたくなる気持ちは正直なきにしもあらずです。 ただ一方で少しでもできなかったことをできるようになりたいという気持ちもあります。急激な人生の拡大は困難かもしれませんが、ゆっくりとでもmindもハートheartも拡大するように努めることはできます。というより今の自分を叱咤激励する意味で「拡大こそが人生である」と自分に言い聞かせなくてはなりません。自分のことから身内・知人へ、身内・知人から地域や社会・国へ、国から世界へ、この世界からあの世の世界も含め意識を広げていくのが人の歩む道というものなのでしょう。私は地域社会を愛し、感謝していますが、もう少し何か社会に対してできるかもしれません。普段ニュースを見るとき日本だけでなく世界のニュースにも関心を向けてきましたが、今後はこの世のことだけでなく神々の世界のことも関心に入れていいのかもしれません。言うは易く行うは難しですが、方向性としてはそういうことです。一歩一歩微々たる歩みですが。