奉仕とリーダーシップ

 

少なくとも私が見聞きする範囲内では、日本で奉仕とリーダーシップの関連について話す人はほぼいないようです。しかし、世界の他の国では少しばかりそれについて述べられることがあるようです。たとえば英語にはservant leadership(奉仕の態度を通じてのリーダーシップ)という言葉があります。また私が傾倒しているサイババはかねてから奉仕はリーダーシップを訓練する学び舎だとおっしゃっていました。今日はこの奉仕とリーダーシップに関して私が現在思うことを書いてみます。

 

Twitterで "If serving others is below you, then leading is above you."(人に奉仕するほど自分は落ちぶれていないと思うならば、あなたは人を導く高みにはない。)という言葉を見かけました。日本にはキリスト者や自然災害の時にすぐに駆けつける人などを除いて、あまり奉仕に関心がある人はいないような感じがします。社協などにはさまざまなボランティア団体のリストがありますが、それらの団体で積極的に活動している人を含めても、人口のわずかな割合でしょう。少なくとも他国ほどにはいないような印象です。奉仕活動が一般に浸透していない中で、人に奉仕することよりも立派な地位について奉仕されることを望む人のほうが多いかもしれません。つまり「自分は人に奉仕するような身分の低い人間ではない」と思いたがる人もいることでしょう。もしかしたら奉仕を偽善と思ったり、金持ちの暇つぶしと思っている人もいるかも知れません。さて、そのような人はリーダーにはふさわしくない、というのが取り上げたTwitterの言葉の趣旨です。

 

Twitterでも触れましたが、奉仕(service、serving)とは人を助けることでして、それは視点を変えれば奉仕の対象の方を整えることでもあります。病人が健康になれば普通の生活に戻るように、ある人への奉仕によってその人が少しばかりでも「健康」になり、それによって新たな生活に足を踏み出すことがあるでしょう。それは奉仕がその人に作用したということです。多分奉仕以前よりは奉仕以後の方が好ましい生活態度をとる可能性があります。それは奉仕によってその人を導いた(lead)ということです。奉仕はリーダーシップでもあったのです。

 

もう少し詳しく見てみましょう。サイババは奉仕する相手の内に愛する神の姿を見ながら奉仕しなさいといいます。つまり人間への奉仕は神への奉仕です。愛する神に対しては失礼なことはしません。できるだけのことを捧げ物として行います。そしてその奉仕の行為は相手(人間)の心への働きかけでもあるでしょう。行為はさまざまですが、結局のところ相手の心に何かが届きます。そして奉仕の行為によって相手の置かれている状況にも変化が生じます。新たな状況において相手の心に起こった変化は相手の新たな行動をもたらします。相手の内に神を見る神への奉仕とは、相手が内なる神、つまりそれを良心といったり内なる促しといってもいいのですが、に基づいて生きるように(時間をかけて)導きます。相手を神とみなして奉仕すれば、相手はそれを意識しなくても次第に相手自身が神として振る舞うようになっていくだろうということです。人間としての尊厳に値する生き方をしていくだろうということです。奉仕の対象者が、奉仕する人の意図に沿って生きなくてもいいわけです。それが相手の内に神を見て奉仕するということの意義の1つです。そしてリーダーシップとは一般にはリーダーの意図する方向に全員を動かすことであると思われてもいますが、そして多くは理念の共有などによってそれが目指されますが(これはこれで必ずしも間違っているわけではありません)、霊性の道におけるリーダーにとっては、人々が神聖な思いに従って生きてもらいたいわけで、つまりは良心や内なる促しによって生きてもらうことが目的なわけです。そして霊的に適切な道を歩んでいるときには、世俗においてもおおむね目標が達成されることが多いわけです。

 

奉仕とは病人や困窮している人、ホームレスの人などを助けることですが、親が幼い子どもの面倒を見たり、家族が他の家族のメンバーへ適切な配慮を示すことも奉仕に含まれます。地域社会において地域の問題に協力して取り組むこともそうでしょうし、収入に見合った働きを職場ですることも奉仕とされます。行為の結果への執着なく、邪念なくなされたダルマ(社会規範)に沿った行いは奉仕の要素があると考えていいようです。さらに抽象的になりますと、自分自身でいつづけることが奉仕であるという見解もあります。自分自身でいつづけるとは、エゴのない状態でいつづけるということです。

 

人の心の奥底に神仏がいらして、それに向けての行為(奉仕)は相手の内なる神仏に作用します。そして言葉で伝えずとも結果的に相手が神あるいは仏のように生きていくように促すことが最高のリーダーシップです。世界中の人がそのように生きていくならば、もうそれは黄金時代といっていいものなのですから。