今日は身近な話題を取り上げます。といってもそれほどは一般的でない話題です。
どこでその言葉を知ったのか覚えてないのですが、雑草堆肥というものを数か月前に知りました。その名の通り、雑草を堆肥にすることです。家の庭は結構広いのですが、手入れが全く行き届いていません。雑草が庭いっぱいに生えています。今年は草取りをあまりしなかったので、雑草の丈はかなりのものです。そういう中で雑草堆肥というものを知り、「よしやってみようか」と思い立ちました。
まずは雑草を刈るところからです。雑草を刈って長い間おいておくと枯れてしまい、堆肥にしにくいらしいので、できるだけ短い時間に刈ってしまいます。そして雑草が発酵しやすくするために牛ふん堆肥とぬかを準備しておきました。必要量だけ草を刈ったあとに、草と牛ふん・ぬかを交互に重ねていきます。大体1mちょっと積んで一番上を土で覆います。さらにその上にブルーシートをかぶせておしまいです。時々かき混ぜておけば約半年くらいで堆肥が出来上がるとのこと。少し前に作業をし終えましたので、うまくいけば来年の春に使えるようになります。
雑草はその土地に含まれる養分をもとに成長しますが、光合成でさらに養分を蓄えます。その新たに蓄えられた養分はその土地に(欠けているがゆえに)必要なもののようで、そのため雑草によって作られた堆肥は、市販されている堆肥と違って、その土地にふさわしい配合の堆肥になるそうです。
また雑草の根が土地に張ることで、土地が耕されます。「奇跡のリンゴ」のことを知っているでしょうか?奇跡のリンゴを作った木村さんは、雑草のこのような性質を利用して、独自の自然農法を打ち立てられました。
雑草の種が土地に残るのを普通の農家の方々は嫌うようですが、雑草と共存する意志を固めさえすれば、そして多少なりとも雑草について学ばなければなりませんが、雑草は十分に活用できそうです。のらりくらりと庭の手入れを怠ってはいたものの、少しでも雑草を活用できれば気が引けることはありません。
少し前の新聞に出ていましたが、自然は余裕をもって生きており、そしてその余裕を他の生物と分かち合っているそうです。雑草の中には花をさかせるもののありますが、そういうものはハチやチョウに蜜を与えています。根で増える植物でも花に蜜をたたえることがあるようです。雑草は多くの虫たちにとっていい住処です。雑草の根によって耕され、虫たちの多い土地はきっと多くの微生物がいることでしょう。人間にとっては厄介な雑草は必ずしも生態系にとっては厄介でないかもしれません。昔の人は土地の一部を活用せずにわざと雑草をはやしていたとも聞きます。
雑草に限らず、この世に無駄というものはないと聞きます。私たちがいまだそれらを活用するすべを知らないだけであって。もし仮に身の回りのものすべてを活用できるならば、多くのものを生活の中で生産することができるでしょう。経済的な効率を考えれば、お金を通じて売り買いをするのがいいとしても。例えば無駄紙とも思えるものでも、私ならば神仏の御名を書くのに利用します。
ごみを多く収集して、行政の方々は最大限の努力をされているでしょうが、工夫すれば今以上にごみの山が宝の山になるはず。都市鉱山というものもそうですね。海に捨てられた(マイクロ)プラスチックなどを効率的に回収できれば、少なくともいい燃料にはなりそうです。日本はあきらめずに、そういうものにもっと目を向けていいと思うのです。もったいないという言葉を生んだお国柄ですから。物を作るのを動脈産業と名付け、作ったものを回収し大規模にリサイクルすること、生態系の回復を図ることを静脈産業と名付けた方が日本人にいます。うまくやれば、日本は静脈産業で世界をリードできるはずなのです。