今日のタイトルは禅問答のようであります。ただ私は禅問答はかなり嫌いな方で、説明を聞いても単なる屁理屈に感じることが多く、多くは単なる自己満足に過ぎないと思っています。今日はそのような自己満足に陥らないようにしたいのですが、しかし多少はそうなるかもしれません。
考えてもダメ、考えなくてもダメは私の経験によるものです。私はいろいろ考えることの多い時期を過ごしていましたが、振り返ってみてもそれで何かがうまく行ったことはせいぜい2割位でしょう。考えるより誠実な行動のほうが問題を打開することが多かったというのが偽らざる気持ちです。考えてばかりいても、結局は自分を説得するための自己弁護に陥ってしまい、人生に道筋をつけるという思考の本質から外れてしまいます。
一方でまったく考えないのもダメです。まったく考えないで生きるのは、私の実感からいうとハンドルのついていない車を運転するに似て、ごく短い時間ならばそれでなんとかやり過ごせることはあっても、長い期間にわたってコツコツと着実に生きるには不向きです。遠方の目的地にたどり着くには継続した適切なハンドルさばき(考えること)は必要です。
頭を使うことをハンドルさばきに例えました。ハンドルさばきは体で覚えて自動的にできなければなりません。なので考えることもせず考えないこともしない頭の使い方とは、木の葉が風に揺らぐように、頭脳が状況の中で自動的に計算するような状態です。それは頭が頭だけで独立しておらず、肉体とつながった状態で肉体が環境から受ける影響に沿って意図せず働くという感じです。
私は実際のところ何年にもわたってそういうような自動的な頭の使い方をしています。10年以上前は意図的に考えることの多かった自分からすれば、このような頭の使い方はとても楽です。風に揺らぐ木の葉のような思考ですから、考える必要のないことについて思考することもかなり減りました。