維新

 

私は下関と縁のある人間であり、明治維新の話を聞くことは他の地域の方に比べれば多かったかもしれません。江戸時代と明治時代は、近世と近代という歴史区分にあるように、社会の様相が異なります。その社会の変革の時期に起こったのが明治維新です。長州の志士の名は多く挙がりますが、実のところ下関出身で全国的に知られる志士はほぼいないといっていいのではないかと思います。白石正一郎、三吉慎蔵くらいのものではないでしょうか。歴史に関心のあるものでなければこの2人の名も知らないでしょう。実際のところ、壇ノ浦の戦いや巌流島の決闘もそうですが、下関は歴史にその場を提供してきただけで、人材を多く輩出したかといえば必ずしもそうではありません。白石正一郎の名を挙げましたが、彼は今でいうところのパトロンです。維新の志士を多く助けた方です。私はこの白石正一郎の子孫とかつて同じ学校に通っていました。また私がかつて住んでいたところは、日本の歴史を思い起こさせる多くのエピソードのある地です。その1つに桜山招魂社があります。これは靖国神社護国神社の形式のもととなった神社とされます。明治維新の際に亡くなった、主に奇兵隊の方々を祀っているところだと思います。高杉晋作の生活を感じさせる場所もその近辺に結構多くあります。

 

さて、私は人からちょっとしたときに明治維新に関する話を聞くことがありました。多くは忘れてはいますが、少しばかり記憶が残っていることもあります。それによると、初代総理大臣の伊藤博文は単なる暴れ者だっと聞いたことがあります。またさまざまに表に出せない話があるような人が多かったとも聞きます。長州の人間は他藩の人間と戦ったり、外国に足を運ぶ人がいたり、イギリス他の国に戦いを挑むような人たちだったので、行儀がいい人たちばかりではなかったのでしょう。それでも維新は成し遂げられ、江戸幕府から明治政府への移行の一つのきっかけとなりました。それはひとえに当時のリーダー方の思いが純粋で有能であったからだと思うのです。

 

明治維新当時のリーダー方と、例えば後の戦争指導者方とを比べた時に、リーダーの質がかなり異なるのではないかというのが私の印象です。もちろん明治維新当時のリーダーの方が質がいいのです。歴史文献をことさら調べたわけではないので、だれがどのような特徴・性質の人だったかはよく知りません。また明治維新当時の志士たちが一様に人間の質がよかったわけでもないでしょう。しかし明治維新は犠牲となるものが相対的に少ない人数で成し遂げられ、一方太平洋戦争などは日本人だけでなく他国の人たちに対しても莫大な犠牲をもたらしました。同じレベルで語れないリーダーの質だと思います。まかり間違えば太平洋戦争によって皇室・皇統が絶えていた可能性すらあります。

 

維新を現代的な観点で受け止めるならば、それはどのようなものといえるのか? 私個人は、「維新とはリーダーたちの純粋さと有能さの組み合わせである。」と今表現しておきます。

 

話は変わりますが、サティヤサイババは多くの使命・目的をもって化身してきました。私が理解しているのは、その1つに、歴史に埋もれたもの、今あるものを分解整理し、そこに新たな命を吹き込むという使命です。サイババは古くからの諸聖典や文化・制度などに対して、その本質を失わないまま現代的な表現によって価値を明らかにしてきました。バーラタ(インド)に関する伝統文化だけでなく、世界中の文化に対しても同じ態度で、それらの価値の復興を後押ししてきました。そして私の仏教などの日本文化や他国の文化に対する態度はサイババによって育まれ、促されたものです。「維新」の字義は「すべてが改まって新しくなること」であり、それは保守というよりも革新に近い概念です。しかし私は「維新」をサイババのような文脈(分解・整理・価値の明示)で受け止めることは可能に思います。また私は価値における保守主義者であって、制度における保守主義者ではありませんので、問題を多く含むのは歴史学者たちが指摘している通りではありますが、おおむね明治維新に対しては肯定的な評価をしがちです。

 

日本社会においては連続的な変化は起きやすいですが非連続的な変化は置きにくいというのが実感です。たとえば本来政権交代というのは非連続的な変化をもたらすきっかけとなっていいものですが、日本人はそれを嫌がります。もし過去の出来事を誤っていたと認めれば、そこから反省が生まれ新たな道が切り開かれていくものなのですが、過ちを認めない日本人がリーダー層を含め結構見受けられます。自ら内発的に社会を変革していくことが苦手な国民なのだと思います。そういう国民性にあって、明治維新はそれなりの成功を収めたのではないかというのが、今の私の評価です。