日本神話に思うこと
私はかつて古事記を一通り読んだことがあります。日本書紀は読んだことがありません。日本人ならば日本の神話について知っていてもいいと思ったからです。源氏物語と平家物語は日本人なら読んでいていいといった作家がいますが、日本の神話も読んでいていいものだと思います。しかし読んだのがずいぶん前なので、記憶に残っている個所はわずかです。古事記を読んだ前後くらいに河合隼雄先生の日本神話に関する文章をいくつか読み、それが私の日本神話の理解として残っていると思います。
古事記が編纂されたのは712年と推定されているようです。日本書紀は720年だとされているようです。古代国家の形成期に並行して編纂されたようです。今日のテーマから少し離れますが、今皇室の存続が話題になることがあります。私の日本史の史観は網野善彦氏の史観によっているところが大きく、網野氏は700年周期説を唱えました。古代国家の形成期(6世紀から8世紀)、中世の最初期(13世紀から14世紀)、そして現代(20世紀から21世紀)に大きな転換があるという説です。皇室に関しては、古代に皇室の権威が確かなものとなり、中世において南北朝時代などの混乱があり、そして現在もそれに匹敵する震度の動揺に見舞われているように私は思います。現在私たちが日本の文化と呼んでいるもののほとんどは中世期以降のものであり、それ以前の文化はあまり現代に息づいていないとも聞きます。そして現代も過去の文化が置き去りにされ、過去と未来が断絶しそうな状況です。このようなことを踏まえると、700年周期説は私には納得のいくものです。古代日本の香りを伝えてくれるものの1つとして、日本神話に親しむことはあっていいでしょう。
改めて読み返したわけではまったくなく、記憶に残る範囲のことを少し取り上げますと、まずはイザナギとイザナミの国づくりが思い起こされます。(サイト「古事記・現代語訳と注釈~日本神話、神社、古代史、古語」から)
(以下引用)二神はその島に天降って、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てた。そこでイザナギが妻イザナミに「あなたの身体はどのようにでき上がっていますか」と尋ねると、「私の身体は成りに成って、足りないところが一か所あります」と答えた。そこでイザナギが「私の身体は成りに成って、余っているところが一か所あります。だから私のこの余っているところで、あなたの足りないところを刺し塞いで国を生もうと思うが、どうですか」と言うと、イザナミは「いいでしょう」と答えた。そしてイザナギは「ならば私とあなたと、この天の御柱を行き廻って出会い、『みとのまぐはひ』をしよう」と言った。このように約束をしてすぐに、「あなたは右から廻り逢い、私は左から廻り逢おう」と言った。(引用終了)
この個所は海外でも知っている人の多いところらしく、私は、フランス人が日本神話の率直さに感銘を受けたという文章をよんだことがあります。素朴な記述だと思います。古代日本人の性質の一端がうかがえると思うのです。またイザナギとイザナミの2神の話は他にもいろいろと含蓄があるものばかりです。
そして何といっても今日もっとも書きたいことといえば、アマテラスの岩戸隠れです。アマテラスはスサノオの狼藉に、こういっていいのかわかりませんが、心が傷つき天の岩戸に隠れてしまいました。アマテラスは太陽神ですので、アマテラスが隠れてしまいますと世界は暗くなってしまいます。何とかしてアマテラスに天の岩戸から出てきてもらわなければならず、アメノウズメの活躍があります。私は最近少し神楽を見ることがありますが、神楽の起源はこのアメノウズメと関係があるようです。神楽はとてもおもしろいものです。
さて、アマテラスは高貴な神ではありますが、その高貴な神が心傷つくこととなりました。これはとても重要なことを示唆していると思います。誰の言葉が確かではないのですが、ツイッターで拾った言葉を少し載せておきます。
"What hurts you blesses you."(あなたを傷つけるものはあなたを祝福します。)
"Through which wound does your light shine?"(どの傷口からあなたの光は輝いていますか?)
アマテラスは心に傷を受けました。その傷口から何かが流れ出てきます。私の関心領域でいえばヴェーダも流れ出てきているでしょう。それ以外のものも流れ出てきているでしょう。私はアマテラスという高貴な神の心の傷から流れ出てきたものが、古代日本ひいては現在までの日本の社会の構造を定めていると思うのです。ヴェーダは社会の倫理構造であり、論理構造です。アマテラスは日本社会の倫理構造と論理構造の源であるとそう考えます。アマテラスの心の傷は、日本社会への祝福をもたらし、日本社会に方向を示したものであるでしょう。
日本人はこの160年ほどの間に明治維新と敗戦を経験しました。どちらも日本人の心に大きな衝撃をもたらしました。特に現在に生きる年長者にとっては敗戦は心の傷となり、それが戦後日本の構造をある程度規定してきました。これは否定しがたいことです。このような社会の構造はなかなか変わりがたいものです。このように規定された社会構造は良い悪いというレベルのものではありません。神話的な様相をもち、善悪を超越したところさえあります。単に敗戦だけではありません。明治維新前後以降の社会をそれを見るにふさわしい人が見れば、神話を紡ぐことすらできます。それは神の物語です。本来神話は国家の起源を説明するものとされますが、しかし実際にはいつの時代も神話と解釈しえます。現代は特にそれが端的であるというだけです。
人は長い人生において時に神話の知を必要とする時期があり、どの国も自国の神話をないがしろにしてはならないというのが私の考えです。いえ、他国の神話の知が役に立つことも往々にしてあるでしょう。そういう意味では現在そのような知が軽んじられていることに懸念を感じています。