愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

文化3

 これまでに何回か文化について触れたことがあるのですが、改めて気づきのようなものがあったので、再び書いてみます。
 
 さっと調べただけなのですが、文化という言葉の語源は、中国の「文治教化」、すなわち学問の力で感化し教え導くという意味だという説があります。これは武力による影響「武化」の対義語だそうです。私は文化という言葉は明治維新の頃に西洋の考え方が入ってきて、そのときにcultureに合う言葉として当時の人が作った造語と思っていましたが、そうではなかったようです。
 
 一般に文化といえば学問や芸術などの類をいうことが多く、それより範囲を広く取ると「生き方」のことと指摘する人もいます。文化というものは、人間の意識を越えた奥深くまで影響を及ぼしていますので、文化を生き方と理解すると、多少未消化な部分があったのですが、よく理解していないのでそれ以上探求することはありませんでした。また「文治教化」という語も私のイメージする文化とはずれがあります。cultureにしろ文治教化にしろ外来の概念ですが、ほどほどに日本人になじんできてはいます。
 
 私の師も文化の定義をしています。「文化とは多様性の内に一体性をみて、一体性への信念のもとに生きることです」。抽象的で一見わかりにくくはあります。
 
 多様性といえば、さまざまな価値観や考えに従って人々が生きていたり、あるいは生物種の多様性という言葉のように、種類が多様であることを意味します。そしてそれは、ばらばら、分裂しているという印象を与えることもあります。しかしながら、多様性というものは本来「創造の拡大」を意味するようです。私は神=創造主を信じていまして、その神が創造を行う中でさまざまなものが現れてくるのですが、つまりその創造作用のことです。人間そして多くの生物には二つの性があります。さらに最近よく聞かれる言葉としてLGBTというものもあります。それも多様性でして少数派なのでしょうが、神の創造ではあります。それらは一つの同じ創造の内にあるのですから変な差別をしなくてもいいはず。
 
 多様性のうちに一体性をみるとは、つまりあらゆる多様性の内に、それが拡大してはいるが、過去においても現在においても未来においてもただ一つであるところの創造作用を見ることではないかと最近気づきました。人間がさまざまな野菜や商品を作るように、創造物creationは一見多様ではありますが、ただ創造力creativityがあるだけであるということ。その創造の内に、そして拡大していく世界の内に積極的に生きていくこと、これが一体性への信念のもとに生きることではないかと思い至りました。
 
 つまりこの定義ですと、文化とは単に学問・芸術というにとどまらず、あるいは文治教化のような思想的なものでもなく、むしろ世界を喜び、世界と共に生きることが文化なのではないかということ。おそらくは現代人に比べて古代の人は素朴な喜びに満たされていたと思うのですが、彼・彼女らは創造を喜んでおり、それを讃え、それと共に生きていたはず。喜びに満たされて全身全霊で生きることこそが文化だと、私の師の文化の定義はうかがわせるのです。

 文化とは生の讃歌のことではないでしょうか?