愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

母の愛を知らない人々

 母をタイトルに含む記事をこれまで2つ書いたことがあります。今日はその2つと異なった視点から母にまつわることを書いてみたいと思います。配偶者のいない人はいます。子のいない人もいます。しかし生殖医療の発展した今現在でも母のいない人はいません。万人に母はいます。ですので母について書くことは万人に関係することを書くことになります。

 母は子が幼い頃、子の父親と協力して、しかしおそらくはより一層の愛と注意をもって子の面倒を見ます。子に肉体を与えるのは母であり、言葉を与えるのも母です。肉体と言葉のない人間を想像することはできないでしょう。つまり人間そのものの根源を与える、世界で最も尊重されて然るべき存在が母です。

 母は子が小さい頃、子のレベルに自分を落として子に語りかけます。大学を出た母であるからといって、大学で講義されるような内容の話を幼子に熱心に語るような母はいません。子が理解できるように語ります。町中を子と共に歩いているときも、機会があればしゃがみ込んで子の目線まで自分の身を落とします。母とはそういう存在です。それは母の愛です。

 しかしながら現代の教育の影響を受けた若者は長じてそのような母を疎んじるようになり、学校で母が知らないことを学ぶと、母に対して偉そうな態度をとることがあります。それが思春期において親子の間の距離を調整する一時的なものであるならまだいいのですが、以後ずっと母を疎んじる人がいます。

 母を疎んじる人かそうでないかは、なんとなくその人の態度を見ていればわかります。誰かがある人に、あたかも母が子に対するように、相手の理解に会った言葉と態度を示した際に、母を理解しない人は、そのように自分の理解できることばかり話す人をばかにするのです。私に言わせれば、これは日本社会にありふれた光景です。

 あるいは次のような人も多く見かけます。自分が人間であることの大部分を母に負っているのに、母が老いたときに母を老人ホームに入れて、「できる限りのことを母にしてあげた」と喜ぶ人です。彼・彼女は母を老人ホームに入れた後、配偶者や子、友人たちと仲良く日々過ごしています。もちろんさまざまな事情で老いた母の面倒を日常的に見ることができないこともあるでしょうが、しかしながら、私はそういう人たちを基本的に恩知らずの部類の人間だと感じています。介護離職という言葉もあり、介護のために仕事をやめないといけないことは深い悩みではあり、自分がまずは生活しなければならないのは確かですが、母に負った恩は介護離職して母の面倒を見てでも返し切ることはできません。

 日本は女性の地位が世界的に見てかなり低いですが、それは母の愛を知らず、母に対する恩知らずが多いことと関係があるでしょう。女性の地位が低いのは男性のせいだと主張する人もいますが、私に言わせれば、母の愛を知らない女性は結構います。自らが人の母親となった人であってもです。女性の地位が低いのは、同時にそういう女性のせいでもあります。母を敬う人は大概女性一般を敬うものです。

 母の愛を知らない人間は、誰から愛を求めるのでしょうか? 母以上に自分に愛を注いでくれた人間はまずいないはずなのに。彼・彼女にとっては配偶者の愛の方が母の愛よりもより真実味があるのでしょうか? 神は母の愛を超えた愛を注いでくださいますが、母の愛すら理解できないものが神の愛のほんのほんの僅かばかりでも理解できるのでしょうか?