霊性
正確な詳細は覚えてないのだけど、記憶に残る話があります。話の内容は以下のようなものです。 昔のある国での話です。 道路の真ん中に巨大な岩があって、その岩のおかげで人々の通行が妨げられていました。それを見た聖者は弟子の一人に「その岩を押しなさ…
このブログ(「愛に生きる」)をヤフーブログで始めましたが、ヤフーブログが終了することに伴い、はてなブログに移行してきました。ヤフーブログ時代の8年を第1期とすれば、はてなブログ時代はその第2期に当たります。ヤフーブログでの最後の記事を書いたの…
なぜ生きるのか? 少なくない人が悩むことだと思います。たかだか100年生きてもみな必ず死んでしまいます。必ず死んでしまうのに、人はなぜ生きるのか? 私もそういう疑問が頭から離れなかった時期があります。悩みだすとなかなかそこから抜け出ることが難し…
ギーター第1章について書いたのは1年以上前です。久しぶりにギータについて触れたくなりました。今日は第6章についてです。第6章は瞑想のヨーガ(道)と名付けられています。私はインド哲学に関して専門的な訓練を受けてないので、あくまでもギーターの詩節…
正確に言えばまだ読み終わっているわけではないのですが、久しぶりにおもしろそうな本に巡り合いました。『流れとかたち』(エイドリアン・べジャン&J・ペダー・ゼイン著)です。ほんの十分の一ほどページをめくっただけでいろいろな思いが湧いてきます。つ…
インド哲学における分類に二元論、条件付不二一元論、不二一元論があります。二元論とはまったくの多様性です。善悪二元論もこの範疇です。不二一元論は唯一つのものが存在し、外界に見る多様性は幻だというものです。ただ一つのものしか存在しないときに他…
約2年ぶりに全託について書きたくなりました。しかしながら私には全託というものが今だに部分的にしかわかっておらず、今日書くこともわずかばかりのさわりに過ぎません。こんなことを考えている人がいると、読む人にとって少しばかりの参考というか考えるき…
一つの考え方なのでしょうが、神は帰依者あってこそという話を聞いたことがあります。西洋の神つまりGodはすべてを超越した孤高の存在のような印象を受けますし、私もかつてはそういうイメージをもっていました。しかし、神という概念は帰依者の概念とセット…
私は運命の定めによって多くの苦しみを味わってきましたが、もしかしたらこれを読んでくださっている方にも同じような人がいるかも知れませんので、それについて今日は触れたいと思います。しかし私自身は運命の定めの本質について知らないことが多いので、…
私は日常的にマントラを唱えています。ほとんどはヴェーダのマントラですが、ヴェーダでなくても気になるマントラは唱えています。たとえばソーハム(私はそれ)やI am I.(私は私)などです。ソーハムについてもI am I.についてもこのブログで書いたことが…
詩といっていいのでしょうか、好きな言葉があります。そしてこの言葉を人にプレゼントしたこともあります。 Bear all, do nothing. Hear all, say nothing. Give all, take nothing. Serve all, be nothing. (すべてに耐え、何もしないでいなさい すべてを…
帰依者(devotee)と霊的探求者(spiritual seeker)という2つの言葉があります。基本的には異なるものを示していますが、重なる部分もあります。 私自身を振り返ってみると、このブログに取り上げているようにさまざまな霊的なテーマに関して思索を行い、そ…
「いつ何時、誰が望みを示しても、それが真に無私無欲のものであるならば、神は必ずその願いを叶えるでしょう。」(Baba) 「もしあなたのハートが純粋であれば、神は必ずあなたの願いを聞き入れます。たとえば、ペンが必要だというなら本気で神に祈りなさい。…
前回の記事で「もし特定の御名と御姿の神仏に帰依したいと願うのならば、御教えの本質を理解できなければ難しいのですが、どんなに不可能に思えても、御教えをそのまま誠実に実践に移す必要があります」と書きました。そうです、歴史の評価に耐えてきた真の…
人はしばしば迷うものです。人生において選択をせまられることがあります。私はそういうとき、よく考え込んでいました。しかしことによっては、いくら考えても結論が出ないことはあります。歳をとると考えることが面倒くさくなりました。しかしそれでもたま…
いわゆるカルマの法則というのは有名です。良いことをしたら良い結果が得られ、悪いことをしたら悪い結果が得られる。正確には、他者や世界に対して行った行為(カルマ)が、光が鏡に反射したり、音が壁に反響したりするのと同じように、等しく自分にそのま…
前回とのつながりで御名についてです。神を思うよすがが御名なのですが、インドではヴィシュヌ神やシヴァ神など主な神様には1000ほどの名前があって、それを見ると、インド人がどのように神様を思っているか興味深いと共に、その英知に驚かされます。 たとえ…
宗教に関わることの少ない日本人が神を思うにはなかなか難しい面はあります。神に対する概念が貧困だからです。しかし実際のところ、神を思うことは以外に簡単でもあります。どうすればいいかそれを知らないだけで、そのコツを少し学びさえすれば。今日は神…
インドの珠玉の聖典『バガヴァッド・ギータ』は全部で18章からなっています。そしてそれぞれの章は異なるヨーガの道を説いているとされ、個別に名前がついています。ヨーガは合一という意味のようで、神と一つになるための方法が18ほど説かれているのがギータ…
マントラとは、それを熟考するものを保護するもののこと。一般的にはインドにおけるヴェーダがその代表です。ヴェーダでなくとも、力をもつマントラはたくさんあります。その一つが今日取り上げる"I am I."(私は私)です。 "I am I."と繰り返し憶念すること…
お釈迦様の御教えの一つに中道があります。知っている方が多いでしょうが、御釈迦様は王族の出で、若いころから生活に困ることのない、おそらく贅沢な暮らしをしてこられました。そして成人し結婚した後に、世の中を視察したときに、病人、老人、死人を目に…
言葉はできる限り優しいものでありたいと思います。真実を話す場合でも、人の心を傷つけることを意図せずに。さらにはあまり冗長でなく、控えめでわかりやすく。話し言葉であっても、書き言葉であっても。 おそらくですが、私は話し言葉と書き言葉がかなり異…
触れたことがあったようで、しかしほとんど触れたことのなかったガネーシャ神(こちら)。インドの神様です。少し前に『夢をかなえるゾウ』という本が話題になったようで、私は読んでないのですが、それはガネーシャ神に関するお話であったようです。 私は真…
その優れた読者ではないのですが、霊性について語るならギータについて時々は語りたくなるもの。最近新しいことを知ったのでそれについて触れたいと思います。 サンスクリット語の原典を見たことがないので伝え聞くばかりなのですが、ギータの一番最初の言葉…
私の今年のテーマは「信仰」でしたが、徹底的に探求したというほどではありませんが、1年ほど前よりは理解が深まったという感じでその点は良かったと思います。信仰が深まれば、おそらくは世間への関心が減ると思うのですが、少しばかりは減りました。インタ…
ユネスコ無形文化遺産に登録されているヴェーダ。インドで太古から口伝で伝えられてきたマントラの総称です。このブログでも時々ヴェーダのマントラの一節を取り上げることがありますが、とはいってもヴェーダに関してそれほど知識があるわけではありません…
インターネットでニュースを見ていたら江川紹子氏の記事に出くわしました。江川氏は私が信頼しているジャーナリストの一人ですが、彼女はかつてオーム真理教の信者に攻撃された経験があり、カルトの問題に強い関心をもつ方です。そのためかつてダライ・ラマ氏…
五感は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚です。人間はこの五感の誘惑に惑わされてしまいます。テレビや映画を見ているとそれにひきつけられる、おいしいものを食べているとどを越えてそればかり食べるようになる、などなど。何でもほどほどすなわち中庸が好ましい…
久しぶりに真宗の教えに関することを書きたいと思います。 『蓮如上人御一代記聞書』(現代語訳:本願寺出版社)の中に次のような話があります。 ある人が「私の心はまるで籠に水を入れるようなもので、御法話を聞くお座敷ではありがたい、尊いと思うのです…
アートマとは自らの真の存在のことで、エゴとは自らを肉体と同一視したところから生じたありとあらゆる心理、理論のことです。つまり、自らの肉体は真の自己ではないということです。 肉体、感覚、心(マインド)、知性(ブッディ)、エゴ、アートマの順にそ…