カルトの見分け方

 インターネットでニュースを見ていたら江川紹子氏の記事に出くわしました。江川氏は私が信頼しているジャーナリストの一人ですが、彼女はかつてオーム真理教の信者に攻撃された経験があり、カルトの問題に強い関心をもつ方です。そのためかつてダライ・ラマ氏が来日したときにカルトの見分け方について質問をしたことがあるようです。

・・・・以下引用。

 私はかつて、チベット仏教ダライ・ラマ法王が来日された時の記者会見で、問題のあるカルトとそうでない宗教の違いについて質問したことがある。それに対する法王の答えはこうだった。
「"study"と"learn"の違いです」
 カルトの場合は、教義やリーダーの言うことをメンバーはひたすら"learn"、すなわち習い覚えていく。教義や指導者の言葉に疑問を抱いたり、自分で課題をみつけて研究(study)したりすることは許さない。だから、"study"を認めない組織は気をつけた方がいい、というアドバイスだった。
 もう一つ、秘密が多い組織は、十分に警戒した方がいいような気がする。たとえば、組織への接触を「選ばれたあなただけに伝えるので、他の人には言ってはいけない」「家族に話さないように」などと口止めするような場合は、極めて要注意だ。
・・・・引用終わり。
 教義やそれに関することあるいは物事の考え方にいたるまで、いろいろと話し聞かせて、それをそのまま受け入れさせるような団体をlearnという表現で表していますが、一方自分の経験と頭脳にしたがってさまざまな問題について考える(study)ことを勧めるところはカルトである危険度は低いというように読めます。私もこの見解に同意します。
 一般論ですが、伝統的な宗教であってカルトとみなされていないところであっても、繰り返し繰り返し話を聞かせていくところはあります。本人たちに悪気はないのでしょうが、私などはそういうのはうんざりです。私は多少なりとも自分で考える頭をもっていますから。話を聞かせたがる人は、他の人が自分で考えるのを心のどこかで嫌っているのかもしれません。
 秘密の多い組織も危ないですね。
 またもう一つ、かつて人に聞いたところでは、「この道だけ、この神だけ」と主張するところはカルトの疑いが強いそうです。それをいってしまえば、伝統的な宗教もカルトくさくなりますが、そういうところは長い歴史の中でそれを中和する知恵が蓄えられてきているのかもしれません。
 私は「神は一つ、唯一の神だけが存在している」と思っています。しかし世界中に何億とある神の御名を尊重しています。それらは唯一の神の多種多様な属性を表しており、人は自分の好みの御名を大切にするのが当然であると思っています。