愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

カルマヨーガの法則

 いわゆるカルマの法則というのは有名です。良いことをしたら良い結果が得られ、悪いことをしたら悪い結果が得られる。正確には、他者や世界に対して行った行為(カルマ)が、光が鏡に反射したり、音が壁に反響したりするのと同じように、等しく自分にそのまま返ってくるという法則のことです。これは現代科学では検証できそうもありませんので、それを信じるか信じないかどちらかなのですが、私は信じています。またこのカルマの法則は、輪廻転生を前提とした考え方です。ただ一度きりの人生を見たならば、あまりに恵まれすぎている人がいたり、あまりに不幸に打ちのめされている人がいて、運命は公平でないようですが、何度も生まれ変わる中で、トータルで自らの行為の結果を味わうと考えられています。

 このカルマの法則について冷静に考えてみるとわかるのですが、この行為の連鎖には終わりがありません。何か行為をして、その結果が返ってきて、その結果に対して意識せずとも反応して、その反応の結果がまた返ってくる…。であるがゆえに、この輪廻の輪から抜け出すこと=解脱は極めて困難だとされてきました。少なくとも理論的には不可能に思えるほどです。ちょっとした思考や呼吸ですらカルマです。道を歩いていてアリを踏み殺したら、それもカルマです。ありとあらゆるそういう結果から完全に逃れることは果たして可能なのでしょうか?

 カルマの法則について深刻に考えるとどうしても悲観的になってしまうので、ここ20年くらいはそう深く考えることはありませんでした。しかしいろいろな文献を読んだり、人の話を長い間聞いていると、カルマの法則とは異なる法則もあるのではないかと思うようになりました。それがカルマヨーガの法則です。

 ここでいうカルマヨーガの法則という名は便宜上そう呼ぶだけです。世の中には、単なるカルマとカルマヨーガという2つがあって、カルマヨーガもカルマといえるのですが、特別な種類のカルマをここでは意味します。

 このブログで何度か取り上げたことのある『バガヴァッド・ギーター』はカルマの過酷さに悩んでいたアルジュナにクリシュナがカルマヨーガを説いた書である、と解説する人がいます。カルマの結果から逃れることのできるカルマのありようについて述べたというわけです。

 例えば次の詩句です。

 それゆえ、執着することなく、常に、なすべき行為を遂行せよ。実に、執着なしに行為を行えば、人は最高の存在に達する。(3.19)岩波文庫
 Therefore, being unattached, perform thy duties(the work that ought to be done) unceasingly; for through the performance of action, unattached, man attains the highest. (3.19)パラマーナンダ訳

 (結果に)執着することなく与えられた義務を果たし続けなさいということです。ここではhighestとありますが、カルマのサイクルから抜けることができるとの解釈は許されます。

 あるいは次の詩句。

 私にのみ意を置け。私に知性を集中せよ。その後、あなたはまさに私の中に住むであろう。疑問の余地はない。(12.8)岩波文庫
 Fix thy mind on Me alone and rest thine understanding in Me, thus thou shalt doubtlessly live in Me hereafter.(12.8)パラマーナンダ訳

 これは、何をするときも、クリシュナ(私)のみを思い集中して行えば、クリシュナ(私)の内にあることは間違いない、ということです。カルマを越えた存在であるクリシュナと共にいれるということはカルマのくびきから逃れることができるということです。

 注意して読めば、これら以外にもカルマのサイクルから抜け出るためのヒントがたくさんギータにちりばめられていることがわかります。

 私の理解としては。神に促された行為(あるいは何を行うにしろ)その行為と結果をすべて神への捧げ物とするならば、神はその人に恩寵を授ける、このgive and takeが今日いいたいカルマヨーガの法則です。通常のカルマの法則とは異なるので、カルマ(行為)の結果が得られるかは恩寵次第で定かではありません。ただ、神の恩寵がありさえすれば、まったく何も心配しなくていいのは確かであって、そういう類の生き方をする人がわずかながらでもこの地上にいるということです。

 カルマの法則ではなく、カルマヨーガの法則というのはあると思います。これも科学的に検証できないでしょうから、やはり信じるかどうかにかかっていますが。