愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

書き言葉の浄化

 言葉はできる限り優しいものでありたいと思います。真実を話す場合でも、人の心を傷つけることを意図せずに。さらにはあまり冗長でなく、控えめでわかりやすく。話し言葉であっても、書き言葉であっても。
 
 おそらくですが、私は話し言葉と書き言葉がかなり異なります。私と話し言葉でしか関わったことのない人は、私が書く言葉を見て私の印象とつながらないはず。逆もそう。私の書き言葉しか見たことのない人は実際の私を見れば想像を裏切られる可能性が高いです。話し言葉はその人の人間性を表し、書き言葉はその人の教養を表すというような言葉を聞いたことがあるけれど、話し言葉と書き言葉はその人の異なった面を示すことがあります。しかしながら、私の話し言葉と書き言葉の両方に触れたことのある人は、やはり同じ人だといってくれます。
 
 ジャパ(ム)とは、神仏の御名を繰り返し唱えることですが、日本においては浄土系の人たちがこれを行ってきました。私も24時間ではありませんが、時間があり気持ちに余裕があるときに行っています。これに似たものとしてリキタジャパムというものがあります。これは神仏の御名を繰り返し書くことです。紙に神仏のことを思い浮かべながら御名を書いていきます。
 
 私は実はこのリキタジャパムが好きでして、御名を唱えるにしろ書くにしろ大切なのは回数ではありませんが、それでも何十万回もしかしたら100万回以上は書いてきたかもしれません。私は文字が好きなのです。本もまあ読む方でしたし、文章を書くこともまあ好き。そんな私にふさわしい修行の一つがリキタジャパムです。回数にこだわるよりも、どれだけ神仏のことを思いながら(そしてできるならば口にその御名を唱えながら)手で書けるかが大切です。たくさん書くのは、その内の1%でも気持ちを込めて書くことができるようになるためです。
 
 神仏を思いながら神仏の御名を書き続けてきたということは、(今もそうですが)当初は修行でしたし、それが後に思わぬ効果をもたらしたのではないかという気がします。それは、神仏の御名を書くことの結果、普通の文章を書くときもより甘く、よりわかりやすく、より真実を書けるようになったのではないかということ。神仏の御名以上に真実であることは書けませんが、神仏の御名をたくさん書き続けてきたが故に下劣なことを書くことからある程度免れたのではないかということ。
 
 そう、15年以上御名を書き続けてきたものの経験からいえるのは、リキタジャパムは書き言葉を浄化するだろうこと。
 
 同じように、絶えず口に御名を唱え続けてきた人がいたならば、それ自体がその人の話し言葉を浄化するだろうことが推測できます。
 
 言葉が浄化されるならば、人間関係などもスムースに行くだろうし、おそらくいいことばかりのはず。御名を唱えたり、書いたりするのにお金は要りません。(書くにはペンと紙が必要ですがわずかばかりの出費です)そして効果抜群の修行。私のお勧めです。