愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

こころを編む

 

以前文章を読んでいて、knit the heart(こころを編む)という表現に出くわしました。とてもいい表現だなと初めて目にした時に思いました。私はテレビをほぼ見ませんし、15年くらい前から家にいて時間がある時に編み物をすることが多くありました。編み物を初めた当初はいろいろなものを編んでみようと試みたのですが、素人の独学なのであまり技量は上達しておらず、最近は人にプレゼントする靴下や帽子をもっぱら編むことが多いです。編み図もほぼ同一なものを用いることが多くなりました。

 

山歩きと同じで、編み物をする時間は物思いに浸る時間です。手は毛糸を編んでいるのですが、複雑なものを編んでいないので、頭ではいろいろなことを考えています。そういう時間を通じていろいろな課題に対する答えを出してきました。編み物を瞑想に例える人もいて、たしかにそういう面はあります。靴下は年に20足は編みます。帽子はこれまでは時々しか編んでいませんでしたが、受け取ってくださる方(ホームレスの方)がいるようなのでできれば10~20点くらいは編みたいと思っています。余裕があれば、セーターやマフラー、その他必要が生じたものを編むつもりでいます。

 

かつてこのブログで触れたことがあるのですが、リキタジャパム(御名を書く)という行があります。私はこのリキタジャパムをやはり20年弱続けていまして、仏教やキリスト教などにこの行があるのかどうか知りませんが、もしこの御名を書くという行を専門に行なっている宗教者がいないならば、私は今生きる日本人でもしかしたら一番多く御名を書いてきたかもしれません。浄土系仏教では御名を唱えはしても、書くことを特に推奨していません。リキタジャパムは御名の表す姿を思いながら、口に御名を唱え、手で御名を書くというものです。すぐに気が散ってしまうので、簡単なようで結構難しい行です。しかしながら私は字が好きなので、長年この行を続けてきました。ここ数年は平均すれば一日に一時間はしているかもしれません。光明瞑想やガヤトリーマントラほどは勧めてこなかったのですが、人によっては高い効果が期待できる行でしょう。

 

編み物と御名を組み合わせるならば、リキタジャパムならぬニットジャパムという行ができます。愛する御姿を憶念しながら御名を唱え、手で編み物をするのです。人によっては個人的にこういうことをしている人はいるはずです。knit the heart(こころを編む)という言葉ですが、編み物で一つ一つの目を編み衣服を作り上げるように、「人と人の心をつなげていって社会が一つになりますように」というような文脈で使われていたと思います。ニットジャパムにおいては、そういう祈りを込めて編み物をすることもできるのはもちろんです。それとは別に、愛する御名と御姿に集中しながら編み物をしていたら、日々の生活の中で千千に散った自らのこころを一つにする作用があると思います。つまり手は作品を編んでいるのですが、同時に御名・御姿を媒介として自らのこころを一つに編み上げてもいるわけです。そして編みあがった作品とこころを家族や知人、ホームレスの方にお捧げします。私にはリキタジャパムに負けず劣らぬ立派な行に思えます。毛糸の靴下は比較的破けやすいので毎年編むことができ、継続的な行となります。

 

ニットジャパムで余分な時間を有効活用することができます。自分のこころを落ち着かせ一つにしてくれます。さらにできあがった作品を捧げものとして捧げることもできます。寒い思いをされている方はそれでほんの少しばかりは暖かい思いをすることができるでしょう。(修)行でかつ奉仕でもあるのですが、リキタジャパムよりは日本人に受け入れやすいような気はします。

 

今年は例年に比べて少し寒いような気がしており、私はすでに今年の冬の靴下などはすでに晩秋に人にお渡ししていて、今は来年のものをせっせと編んでいるところです。御名と御姿に集中できなくても、ただ湧き出てくる思いにふけっていると思考が次第に整理されてくるので、それだけでも精神にいい効果はあるでしょう。こころを一つにする=こころを編む時間は、冬の過ごし方としてより多くの人に支持され得るような気はします。