愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

今年の目標

 

2022年が始まりました。もう今日は11日ですが、まだ年が明けた余韻を感じています。新しい年が皆さまに健康と平安と幸福をもたらしますように。ある程度の年齢になると一年一年が勝負の年になります。一年を無駄にすれば敗北ですし、一年を有意義に過ごすことができればそれは勝利です。人生の残り時間が刻一刻と減っていくと、I am now dying.(私は今死につつある。)という言葉が真実味を帯びてきます。100%時間を活用しきればそれに越したことはありませんが、可能な限り活きた時間を過ごしたいものです。私にとって活きた時間とは愛する神仏を思いつつ過ごす時間のことです。

 

今年も目標を立てました。目標というより今年のテーマです。それは「サーダナクシェートラ」です。サーダナとは霊性修行のことで例えば唱名や瞑想、捧げものとしての奉仕(義務、行為)などのことです。クシェートラは土地、場所、聖地などの意味です。つまりサーダナクシェートラとはサーダナ(霊性修行)を行うクシェートラ(場所)のことです。何がいいたいかといいますと、あらゆる活動の場をサーダナ(霊性修行)の場と意識して過ごしたいということです。これが今年の目標です。

 

私の家の敷地はまあ広いのですが、寒い今の時期は別として暖かくなると草ボウボウになります。そこで定期的に草取りをしなければなりません。私はできるだけ除草剤を使いたくないので、その手間はかなりのものです。暖かい時期は草を抜いても抜いても、少しすると次から次へと生えてきます。今は亡き父は「草が生えたらまた抜けばいい」といっていました。当たり前のことですが、これは心に悪い思いが湧いてきたらその都度抜いていけばいいということも示唆しています。つまり私にとっては草を抜くことは、自分の心の悪い思いを絶えずチェックして取り除くことでもあるのです。単なる草取り、多大なる労力を要する草取りがサーダナになります。

 

部屋の状況はそこに住む人の心のあり様を示しているという人がいます。ならば、部屋を片付け掃除をすることも心の中を片付け、整理、掃除することになります。これもサーダナです。

 

子どもにとってはお小遣いで与えられるお金は親の血のように貴重なものだという人がいます。お金を大切にすることは親の血の一滴一滴を大切にすることであると受け取り、しっかり識別してお金を使うことはサーダナです。血液が循環しなければ身体が病気になるように、お金が適切に循環しなければ社会は病むといいます。このことを踏まえて、適切な領域で奉仕としてお金を用いることもサーダナです。

 

職場などでの仕事も給料に見合った仕事をすることは適切な部類のサーダナです。

 

もちろん瞑想や可能な限り愛する神仏の御名を思い唱え続けることもサーダナです。日常の礼拝もサーダナです。お寺参りや教会、神社などへ足を運ぶこともサーダナです。

 

街頭やショッピングセンターでもサーダナはできます。私の師は街頭に立ってそこで神を見なさいといいました。街頭で目の前を人が通り過ぎていきます。さまざまな建物や機器があります。それらを目の前にしてそこで神を見る努力をすること、これもサーダナです。

 

内在者が適切に活動できるように身体と心をいい状態に保つこと、つまり健康に配慮することもサーダナです。

 

このように考えていけば、態度次第で24時間がサーダナとなります。つまりどこにいてもサーダナはできますし、これが「サーダナクシェートラ」という言葉で実現したいことです。人生はサーダナであると受け取ることは、人生の目的を達成するのに必要な考え方です。サーダナの目的は心の浄化であり、心の浄化とはエゴの痕跡をなくすことであり、これは人生の目的に直結します。ふとした時に時間があれば、そこはサーダナクシェートラだと考えて今年は過ごすように努めたいです。