愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

マントラは存在の家

 

「言語は存在の家である」というドイツの哲学者ハイデガーの言葉があります。私はこの言葉を直感的に理解できるのですが、人によっては意味を取りかねる人がいるかも知れません。私は西洋哲学の文脈を詳しく知りませんので素人としての見解ですが、簡単にいえば、人は自らの言語(言葉)によって作り上げた世界の中に住んでいるということです。口から出す音声言語だけでなく内なる声としての言葉によっても、人は解放されたり束縛されたりするわけです。自分を責めるような言葉を多く使う人はいつも生きるのが辛くなるでしょうし、おおらかな言葉を用いるのを習慣にしている人は比較的のびのびしているような気がします。

 

言葉にはいくつかの機能があるでしょう。情報を伝えたり、話し合いを行ったり、あるいは思考したりです。情報を伝えたり、話し合いを行うためには、ある程度明確な言葉を適切な態度で表明すれば多くの場合用が足ります。日常生活に必要な計画を立てるにもそれほどは難しい思考を必要としません。言語は所与のものとしてあり、人はその制限内で精神生活を営んでいます。

 

しかしながら少しばかり特別な人というのがいます。例えば現代日本人が読んだり書いたりしている日本語は江戸時代以前のものとは異なります。それは明治期の夏目漱石森鴎外、その他の文豪たちが記した文章を元にしています。ハングルでは例えば李光洙氏の書いたものがそれに当たるようです。つまり一部の人がその後のその国の言語に大きな影響を与えるケースがあるということです。漱石は西洋と日本との間でさまざまな葛藤を味わい、それを彼なりに調和・解決させる試みとして小説を書いたと聞いたことがあります。異質な複数の存在が一人の人間の中に入り込んだ際、新たな言語というものは生まれ得るでしょう。漱石や鴎外の小説を読んだのは随分前のことですが、現代日本人とそう変わらないことを考えているなと思ったものです。いえ、実際のところは、私たち現代人が知らず知らずに漱石や鴎外のように考えているだけなのかもしれません。言語を生み出すことの影響力はそれほどなのでしょう。自らの内に軋轢を感じることのない人が言語に限らず何か新しいものを産み出すことはほとんど無く、軋轢を感じてもそれから逃げてしまう人も同様です。

 

どうしたら現代の日本人が漱石や鴎外と違ったように考えることができるでしょうか? 言葉といっても私には三種類の言葉があります。一つは話し言葉、一つは書き言葉です。私はこの2つの用い方がかなり異なっているかもしれません。書いたものを読んで私を知った人は私が話すのを聞いても同じ人間とはあまり思えないこともあるようですし、私の話し言葉しか知らない人が私の書いたものを読んで違和感を感じる人もいるでしょう。話し言葉と書き言葉の他に私が日ごろ用いている言葉にマントラがあります。これで3つです。マントラは基本的に変化しません。ただ唱えるばかりです。一般にマントラといえばインドのヴェーダマントラですが、ヴェーダでなくとも構いません。日本では真言がありますし、あるいは江戸時代の寺子屋では論語素読が行われていました。そういう類のものです。マントラを繰り返し繰り返し唱えていると、そのマントラの内容に関するさまざまなことを考えてしまうのですが、それがクモの巣のように一つの知識や信念の体系になっていきます。そして逆にその知識や信念の体系はそのマントラで表象されます。同じマントラを唱えてもそれによって形成される知識や信念の体系が人によって異なっているのが面白いところです。私が他の日本人と異なるのはこのような思考様式を身に着けている点です。

 

マントラによって知識や信念の体系ができあがるということは、つまりは「マントラは存在の家」ということでしょう。マントラ=マン+トラで、マンは心、トラは保護という意味があるようです。それを唱えるものの心を保護するものがマントラです。まさに家です。江戸時代の日本人やヴェーダを唱えるインド人はそういう思考様式と存在形式を備えています。唱えるのにどのようなマントラを選択するかによって、その人の思考の方向づけや内容が変わってきます。

 

インドのヴェーダは何千年、何万年と変化していないようで、それによってインド人の精神文化は幾多の困難を超え太古から引き継がれてきました。インドのヴェーダほどの伝統がなくても、日本の古典にも憶念するに価値のある言葉は多少はあります。古典を探さなくとも、ふと人から聞いた言葉、ふと読んだ言葉がなぜか心に残り、その言葉について長い間考え込んでしまったことは誰でも経験があるのではないでしょうか? 私は多読や多くの会話よりも、そのように深い意味を湛え真実を内包する言葉をいくつか心に忍ばせ、憶念するのを習慣にすることを勧めます。真に優れたマントラは、精神の奈落の底から人を救いますし、人が奈落に沈み込む危険から守ってくれます。日本の文化が「マントラ」によって再編されてもいいのかもしれません。