アートマとエゴ

 アートマとは自らの真の存在のことで、エゴとは自らを肉体と同一視したところから生じたありとあらゆる心理、理論のことです。つまり、自らの肉体は真の自己ではないということです。

 肉体、感覚、心(マインド)、知性(ブッディ)、エゴ、アートマの順にその存在のありようが微妙になるとされます。肉体は誰にもその存在は明らかですが、心や知性はそれよりも幽(かす)かなものです。そしてアートマになると、ほとんどの人が理解に苦しみます。

 人間の教育の最高の目的は人にアートマの認識を得させることです。その認識が得られれば、それに従って生きていくことで、アートマ(の本質である至福)を体験することができます。それが人生の目的であるとインドでいわれていることです。

 心(マインド)は何か? 思考・言葉の束です。思考を容易にとめることのできる人は、心(マインド)を理解できるでしょう。知性(ブッディ)は価値判断にかかわることです。是非や善悪を判断するものは知性(ブッディ)です。この価値判断に心(マインド)を従わせることが人間向上の第一のポイントです。

 エゴはこの知性(ブッディ)よりもさらに微妙なものですが、もしこのエゴというものを徹底的に分析して、エゴの正体をあらわにすることができるならば、私たちはアートマ(真の自己)に近づくことになります。人間には探求の道具が二つあって、一つは頭(マインド)、一つはハートです。ハートで探求できる人はできるでしょうが、慣れないとピンと来ない人もいるかもしれません。エゴの正体をあぶりだすにはハートでの探求がいいと思います。

 エゴとは肉体の安寧のみを目的とする活動のことで、いわゆるエゴイスティックな活動はわかりやすいのですが、自らをもだますような巧妙なことも行います。このエゴと戦わなくてもいいと思うのですが、何がエゴかは理解しておくのがいいでしょう。実際のところエゴには一つ存在理由があります。それは識別です。識別とは状況を理解して、そこでどのように振舞えばいいかを判断することですが、当然肉体の置かれている状況を考慮する必要があります。識別するときにのみエゴが生じてもいいと私は教わっています。

 そしてこのエゴの奥にあるアートマですが、もしエゴがどのようなものかを理解したあとは、できる限り、エゴではなくエゴのない状態=愛に従って生きていけば、少しずつですが、アートマ(真の自己)に立脚して生きていけるようになります。つまり、真の自分、ありのままの自分であり続けることができるようになります。そして愛にしたがって行き続けていれば、これがアートマだということをつかむことができるでしょう。

 エゴは自らを肉体と同一視することです。アートマ(真の自己)はエゴのない状態であって、つまりアートマ(真の自己)は肉体とは関係のないものです。それは肉体に住むというよりも、「言語は存在の家である」という言葉の通り、しいていえば、言葉の内に住む存在です。そして言葉がなければ、それははるかに広がりをもつ存在です。