インドの珠玉の聖典『バガヴァッド・ギータ』は全部で18章からなっています。そしてそれぞれの章は異なるヨーガの道を説いているとされ、個別に名前がついています。ヨーガは合一という意味のようで、神と一つになるための方法が18ほど説かれているのがギータです。
第1章はクリシュナがアルジュナに教えを説くまでの顛末を述べた章で、アルジュナがクリシュナに嘆きをこぼしています。本格的な教えは第2章から始まります。ですので私はこれまで第1章にほとんど関心をもってきませんでした。しかし最近ギータに関するある解説書を読んで、この章の意義について少し理解できるようになりました。
第1章は「落胆のヨーガ」といわれるそうです。
ヨーガとは神と一つになるための道を示すもの。言葉は悪いですが、クリシュナに対してアルジュナが愚痴をこぼしているのがどうしてヨーガなのかわかりませんでした。しかし、かつて書いたことがありますが、人の苦しみこそが人を神に向かわせるかなり大きな要因であることは確かであって、つまりアルジュナの苦しみが彼をクリシュナの教えと導きに近づけたことを示しているのがこの章です。
「私の心はさまようかのようだ。」(1章30節:岩波文庫)
そして、なぜ自分がこの戦いを避けるべきかを口にするのです。もっともらしいことを語りながら。
アルジュナは人類の代表です。私たち普通の人間も、ある種の状況を目の前にして、心が突如迷い始めることがあります。アルジュナがまさにそういう状況に置かれていたのであり、そういうときには私たちも同様に、もっともらしいことを自分に言い聞かせたり他人に語ってその状況から逃れようとします。一度迷い始めたら、なかなかそこから抜け出すことはできません。そういう状況にあるアルジュナに対して、クリシュナが一つ一つ彼の疑問に丁寧に答え、そして最後にアルジュナは適切な心のありようを回復していきます。
心の迷いは人を神の御前に連れて行き、人はその状況において神との対話を始めます。まさにヨーガ(人を神へと近づけるもの)です。
人が心を迷わせることは太古の昔からあり、それがゆえに多くの人にこの聖典を手にとらせてきました。