愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

運命から逃れる方法

 私は運命の定めによって多くの苦しみを味わってきましたが、もしかしたらこれを読んでくださっている方にも同じような人がいるかも知れませんので、それについて今日は触れたいと思います。しかし私自身は運命の定めの本質について知らないことが多いので、今日は引用中心です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

質問者 スワミ!人は宿命や運命の影響から逃れることができません。物事は予め定められており、それにしたがって人生に出来事が起こります。これは避けられないことであり、私たちは、苦しみや困難に直面させられます。どうかそこから抜け出す方法を教えてください。

スワミ 人生においては、一切があなた自身の思いと前世の行いの反映にすぎません。あなたは誰も自分には気づくまいと考えてうまく偽ります。けれども、あなたの内なる神は、あなたの考えも感情も行いもすべてよく知っています。神はあらゆる場所にいます。神には何も隠すことはできません。いつの日か、あなたは自分の行為の結果に直面しなければなりません。これは至上の真理です。
 あなたはだれかを自分の困難の原因と考えて、その人を非難します。それは完全な誤りです。良いことであれ悪いことであれ、人生で体験することの原因はあなたの行いです。神は人間の行為すべての永遠の照覧者です。神がこの世界を創造し、人間にそれを楽しめるようにと、この世界を与えました。けれども、一つの状況においては(on one condition「一つの条件があります」のほうが適訳か?)、人は自分の行為の結果に直面しなければなりません。神は郵便配達人のようなものです。人々に手渡す手紙の中身に神は少しも気にかけません。すべてはあなたとあなたに手紙を書いた人との間の関係にある問題です。神はその問題とは何の関係もありません。さて、あなたは結婚式の招待状を受け取りました。あなたは郵便配達人には何のお祝いの挨拶もしませんね? もし、誰かから脅迫状を受け取ったとしても、あなたは郵便配達人に文句をいうことはありません。郵便配達人は手紙を配達する過程における単なる道具にすぎません。
 その一方で、祈りはあなたが緊張状態や問題に勇気をもって対抗するのを助けてくれます。真剣な祈り、深い信愛、強い信仰、心からの悔い改め、絶えず神を求める気持ち、そして、神への至高の愛は、人生における一連の出来事を変更することができます。それらは神の意志を正反対のものに変えさせることすらできます。(中略)
 もう一つの例を上げましょう。刑法に従って刑を科せられた囚人がいたとします。懲役期間中に、もし、その囚人の人格や行動に良いところが見つかったり、刑務所当局が課した規則や規律や規約をその囚人がすべて守ったなら、刑期が軽減される余地もあります。もう一つ、心に留めておくべきポイントがあります。刑事訴訟で、地方裁判所の段階から高等裁判所最高裁判所に至るまで、すべての裁判所で控訴を棄却され、死刑あるいは終身刑が差し迫り、刑を変えることはできない状態に陥ったとしても、インド大統領には、慈悲に基づいて、あるいは特別な理由で、なお被告の出獄命令を出すことができます。同じように、自分の過去世の結果としてあなたが苦しむ運命にあり、困難に直面する定めにあるとしても、神はあなたの真摯な祈りと悔い改めに応え、あなたの人生の行路を変え、あなたを苦しみから救うでしょう。神は、あなたの一途な神への信愛を喜んで、あなたに特別な恩寵を授けるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 引用が少し長くなりました。

 刑期や刑の違いはあっても、人間にとってこの世は一面刑務所に似ているという声を聞きます。年を取れば多くの人が理解するでしょうが、この世に生きるというのはさまざまな制限に制約されることです。困難の時には一層それを実感します。しかしながら刑務所というのは、人間に罰を与えるところではありません。人間の更生をはかるところです。人はカルマ(行為)の結果によって定められた運命の道を進まなければなりませんが、誠実に自らの誤りや偽りを反省して、それを悔い改めればそこから解放されることは確かなようです。自らが犯した誤りは、本人にしかわかりません。また過去世の行為の結果を味わうにしても、過去世での思考パターンは現世に引き継がれると聞きますし、ならば自らの思考パターンをしっかりと見つめ直すことで過去世での行為の結果を乗り越えることもできるはずです。

 奇跡というものはあります。引用にあるインド大統領の介入と同じで、神の介入はあります。インド大統領の介入よりも、神の人間の運命に対する介入のほうが頻繁かもしれません。

 生まれながらに身体、精神、知的障害をもって生まれてくる人たちもいます。「障害を気にすることはありません。善良でいなさい」というアドバイスを聞いたことがあります。困難は、自分が善良になったり、信仰を育むためのいい機会と受け止めるのが正しい姿勢なのでしょう。加えて人間としての真の強さを育むこともできます。

 困難はつらくはあるのですが、神は自分が気に入った人に困難を与えて自分の方を向くようにさせる「趣味」があるようで、悲嘆に暮れてばかりいなくてもいいのではないかと、私は思います。

 今日そこから引用した本『サティヨーパニシャッド』にはインド思想、そしてサイババの御教えのエッセンスがコンパクトにまとめられています。いい本です。