愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

「人は神」を実践する

 日本仏教ではすべての人に仏性が宿っているといいます。他の宗教においても、人には神性が宿っているとされてます。人は仏、人は神。それをどう応用すればいいのか? 次のような言葉を見つけましたので、それに基づいて考えを記したいと思います。

God is in you. God is in every word of yours, every deed and thought. Speak, do, and think as befits Him.(Baba)
(神はあなたの内にいます。神はあなたのすべての言葉、行為、思いの内にいます。彼にふさわしいように話し、行い、考えなさい。)

 霊性に関する言説を聞くとき、神は人の心の内に宿るとはよく耳にします。God is in you.とはそういうことです。しかしおそらくは肉体を解剖し尽くしても、神様の人形のようなものはどこにも見つからず、神が心の内にあるとはそういうこととは異なります。人の肉体や頭脳を動かす本体、あたかも電化製品が電源を入れたときに動くように、その大本のエネルギーというか実体が神様なのですよという意味に私は受け取っています。

 私たちは普段の生活の中で、何気なく語り、行い、思います。それは特に意図せずに半ば自動的にそうなっていると受け取る人もいるでしょう。語ることも、行うことも、思うことも、ある種の生理現象のように人間にとっては自然なことです。

 私はいつも自分の言葉wordと行為actionと思いthoughtをチェックするようにしています。それができるようになったのは、ひとえに思いが減少し、それに伴って言葉も控えめになり、同時に衝動的な行動が減ったためです。思いが次から次へと湧き出るような人、思うがままに話し続ける人、衝動的に生きる人は、おそらく自分の言葉と行為と思いをすべてチェックすることはできないと思うのですが、私はそれができるようになったほどには、言葉と行為と思いが過剰でありません。

 言葉と行為と思いをチェックしていれば、それらが愛を伴うものであるか、あるいはエゴによっているのか、あるいは舌や心の汚れによるものなのかがわかってきます。清らかな言葉と行為と思いのみを抱いている日は稀かもしれません。しかし、年をとると共に、内なる促しに沿って思い、語り、行動することが多くなったのは確かです。ここで言葉と行為と思いが清らかであろうと、あるいは逆に汚かろうと、それらに神が宿っていると認識することは有益です。きれいな服を着ていようと、汚れた服を着ていようと、人が着ているのに変わりがないのと同じです。

 「人は神」であることを意識しなくとも言葉と行為と思いに神が宿っているならば、「人は神」を実践するとはどういうことでしょうか? それがSpeak, do, and think as befits Him. ということです。言葉と行為と思いが「彼=神」にふさわしくなるように努めるということです。これは、人が人間としてふさわしくあるように、適切な服装に気をつけるのとまったく同じです。身だしなみを整えるように、言葉を選び、行為を選び、思いを選ぶということです。

 あたかも機械のように自動的に話し、行い、思うような人からすれば、これは至難のわざかもしれません。言葉と行為と思いをコントロールすることは長年にわたる訓練を必要とします。しかし人が清潔な衣類を身につけると気持ちがいいのと同じで、愛のこもった言葉や行為、思いを抱けるようになると、人は喜びや幸福感に満たされるものです。

 「人は神」とは超常的な能力を身につけることではなく、慈悲の権化である神様のように、愛のこもった言葉や行為、思いをいだき続けることの内にあると思うのです。