犠牲

 詩といっていいのでしょうか、好きな言葉があります。そしてこの言葉を人にプレゼントしたこともあります。

 Bear all, do nothing. 
 Hear all, say nothing. 
 Give all, take nothing. 
 Serve all, be nothing. 
すべてに耐え、何もしないでいなさい
 すべてを聞き、何も言わないでいなさい
 すべてを与え、何も受け取らないでいなさい
 すべてに奉仕し、何ものでもない状態でいなさい)
Be nothingは「無名でいなさい」というふうな訳もできるでしょう。

 この詩句も霊性の道を歩む指針となります。霊性の分野で誤解の多い言葉の一つに「犠牲」がありますが、この詩句は犠牲に関して端的に表していると私は思います。

 犠牲の一つの理解としては、「より高いもののために、低いものを手放す」というものがあります。あるいは「自分自身でい続けるために障害となるものを手放す、特に悪い性質を手放す」とも私は理解しています。

 農夫はコメの収穫を求めて、食べることのできる籾(もみ)を使って苗を作ります。そのことによってコメの量が何十倍にもなります。これも犠牲の一例とされます。眼の前のコメを食べるということを手放して、より多くのコメを手にするのですから。

 Bear all, do nothing. 苦痛を身に受けても、相手に何も仕返ししない。あるいは苦痛を紛らわすために享楽などにふけらないという意味もあるかもしれません。ただ耐えるだけです。
 Hear all, say nothing. 人の話を聞いてもそれに対して議論のようなことをしないというようなニュアンスを私は受けます。腹の立つようなことを耳にすれば怒りの言葉を発してしまいがちですが、そういうことも避けなければなりません。こんにちはに対してはこんにちは、さようならに対してはさようなら、くらいでいいのでしょう。全く無口でいるという選択もありですが。
 Give all, take nothing. 物を買うというのも、お金が媒介していますが、受け取るということです。そう考えれば、まったく受け取らずに生活することは、ほとんどすべての人に不可能なことではあるのですが、自分が受け取る資格のないものを受け取らないと理解することは可能です。与えるつまり手放すということは、自由に全託することで、物で手を一杯にすることは自らを束縛することに等しいとされます。身軽でいたいものです。
 Serve all, be nothing. 人生の目的は奉仕だとされ、私はその通りだと思います。自分によくしてくれる人に対してだけでなく、奉仕を必要としている人すべてに奉仕できる人は優れた方でしょう。そして奉仕の精神が身についている人は、称賛などを求めようとはしないものです。nothingでいいのです。

 この4行からなる詩節は、人に自らを犠牲にすることを教えていると理解しているのですが、犠牲がなぜ必要かがわからなければ、人は進んで犠牲を払わないもので、まずはその辺りの理解のなさが人が犠牲を払わないことの妨げかもしれません。

 ただ「犠牲は霊的な強さ」だとここでは述べておきましょう。