家族について

 

私は結婚していませんので、これまで家族特に夫婦についてあまり考えることはありませんでした。しかしこの1年ばかりの間に少し思うことがあり、ツイッターにいくつか見解を書いたことがあります。今日はそれを取り上げて、さらに少しばかり思うところを書いてみます。

 

「バーラタ(インド)では妻のことをグリハラクシュミ(家庭の女神)と呼ぶことがあって、ラクシュミは特に富の女神とされています。「家庭の女神」を私なりに表現すれば、「夫(と家族)に家庭をもたらす神」といえるのではないかと思いました。」(2024.11.7)
サイババの言葉、例えば書籍『サイの理想』なんかを見れば、特に女性にはサイババがとても保守的な気がします。思うのですが、社会を貸借対照表になぞらえれば、家庭は資本の部。サイババは女性にマネージャーよりもむしろ投資家のように振る舞えと述べているような気がすることがあります。」(2024.11.7)
「夫は妻をベターハーフと呼び、ある意味夫婦は一つの統合された存在。性は人格であり、複数の人と交わる人は、おそらく人格が統合されていないのでしょう。」(25.1.23)
「私が知る限りでは日本のフェミニストの多くは性を欲望の文脈で語ってきたように思います。もし性を人格の文脈で語ったならば、同じ性の現象に対しても語られることの印象はずいぶん異なっていたかも。私が知らないだけかもしれないけど、ある種の怠慢ではないでしょうか?」(2025.2.6)

「親族による緩いつながりと助け合いが可能な拡大家族の一つの例はリツイートした富裕層が示していると思うのです。富裕層でなくても、普通の生活レベルの人でも益はあると思います。サイババがどこかで拡大家族に肯定的なコメントをしていたような記憶はあります。ある種の社会保障の役割もありそう。」(2025.3.6)

「配偶者は人間探求のパートナーであるという意識はあっていいと思うのです。親や子に接することを通じて、経済や政治の実践の場としての家庭を通じて、また人間が肉体と心と魂で構成されていることを実感するきっかけとしての性を通じて。(私のTLでは魂の側面をsacred energyと表現する人がいます。)」(2025.4.17)
「性には崇高さもあれば、汚さもあるでしょう。長らくなぜ汚さがあるのかと考えていました。輪廻を信じる私は思うのですが、魂は何万回もの輪廻を繰り返してやって人間になります。そのほとんどを無機物、植物、魚、虫、鳥、動物として過ごしています。魂は本来清らかですが過去世の記録があるのではと。
 それは単なる残滓のような、単なる記録ではありますが、しかし人間のレベルから見ると汚く見えるのかもしれません。鳥や動物から見ると単に自然なだけです。魂とは人間としてのものだけではなく、輪廻すべてにわたるもの。性は魂の分かち合いを含むでしょうが、それはつまり汚さを含んでしまうのかも。
 動物は人間のような生殖活動をしていない、人間は独特だといわれますが、人間の性は人間に内在するものを多少なりとも拡大して人に示す傾向があると思うのです。肉体的でありかつ内的です。」(2025.6.12)

 

他にも探せば出てくるでしょうが、以上のようなことをここ最近twitterに書いてきました。日本どころか世界でもあまり一般的な見解でないかもしれません。家庭がうまくいっていない人がたくさんいるのに、家庭に関して考える人があまりにも少なくないかという思いはかつてから抱いていました。私は家庭の中心は夫婦だと思っていて、傾向として男性(夫)は親への配慮に重心が少しあり、女性(妻)は子への配慮に重心が少しあるかなという印象はあります。ケースバイケースではありますが。家庭特に夫婦関係を犠牲にして社会での活動を優先する生き方は少し無理があるのではないかと思います。夫婦の間に合意があれば構いませんが。あくまでも家庭があってこその社会であり、家庭は社会の構成要素でしょう。そして夫婦の間に強いきずなを育むためには、2人の間に率直な信頼関係がなければなりません。サイババはダルマの体系は男女の間の関係が中心となるとダルマバヒニの中で述べていたと思いますが、その辺りに関するより深い考察が現代社会に欠けているきらいがあります。

 

私はよくリキタジャパム(御名を繰り返し書くサーダナ)をしていますが、omsrisairamと書くことがあります。これはサイババの御名の1つです。omは御名に力を注ぎこみます。sriは現象世界、エネルギーと受け取っています。saiはサイババです。ramは存在、ブラフマンと理解できます。従来霊性の分野では現象世界と存在にまつわることに関して多く考察されてきました。それに対してサイババの御言葉を調べてみればわかりますが、サイババは家庭や社会に関してとても多くのことを述べていらっしゃいます。この家庭や社会の領域は霊性や宗教に関心のある人たちが長らく無視してきた領域です。サイババの特徴の一つは、家庭や社会を豊かにすることにあると私は考えていて、家庭や社会が乱れている現代において、もっと多くの人にそこをどうしたらいいか考えてほしいと願っています。学問的知見はあっても、それらに関する霊的見解が欠けているでしょう。

 

これからも私は時々に家庭や社会のありようについて考えることがあるかもしれません。この領域はあたかも失われた大陸といっていいような状況です。特に伝統が失われてきている今、家庭や社会はどうあるべきなのかを省みたいです。