フロー(流れ)

 

最近SNSを見ていると、フロー(flow、流れ)という単語を時に目にします。今日はそれに関してさまざまに書いてみたいと思います。

 

きれいな川の水も淀(よど)むと時に腐ってしまいます。転がる石に苔がつくことはないという英語のことわざがあります。動き続ける、流れ続けることは自然界においてはある意味正常な状態なのかもしれません。この世にまったく変化がないならば、人間は動きを認識することができず、動きがないならばおそらく時間を認識することもできないのではないかと思います。この世界は時間という基盤、つまり変化の上に存在しています。

 

帰依というものもフロー(流れ)です。それは人間から超越者(神)への愛の流れです。心にもない祈りを口にして形だけ手を合わせても、愛は超越者への流れることはなく、愛の流れを伴うもののみが帰依と呼ばれます。帰依は愛の流れです。超越者に向けられなくても、人間同士などの間で流れる愛があります。母の子への愛、夫婦間の愛、友人間の愛(友情)、隣人愛、動物への愛などです。同じ家や社会の中に過ごしているとしても、その関係に愛がなければ実質的に意味の欠けた関係であり、家庭や社会を真に支えていて、家庭や社会の構造となっているのは愛の関係に他なりません。人間の体が血管を通じて流れる血液によって生かされているに似て、家庭や社会は愛の関係(愛のフロー)の形をとります。

 

「人が呼吸をするように、人は対話をする」(ヤーコ・セイックラ)。この言葉をかつて森川すいめい氏の著書の中で見かけました。森川氏自身の言葉かは忘れましたが、「対話とは、外の世界に反応し、それを自分の中で受け止め、それへの反応を返すことである。返した反応は、また同じようにして返ってくる。」というメモが私のメモアプリに残されています。

 

目の前に人がいて、その人と対話するのが基本ではありましょう。人とは限らず、外の世界に反応することが対話であるならば、SNSの世界でも対話は行われているといえます。個人を特定してコメントするだけでなく、マスとしてのSNS世界に反応することはあります。呼吸のように対話を欲しているのが人の性(さが)であるならば、一概にSNSでの人々のふるまいを切って捨てることはできないのかもしれません。人やSNSとの対話だけでなく、大地や海、街や山などの肉眼で感知される被造物の世界との対話もあります。世界や自然との対話は、私にとっては超越者(神)との対話の一つの形式になります。先ほど述べた帰依というものも対話の一つです。当然、対話もフロー(流れ)の一種であると理解することはできます。

 

私は若いころ精神的な非常な困難に遭遇しましたが、そういう時期は対話が不能であったようなところがあります。周囲の人と対話が成り立たなかったり、世界や神との対話(祈り)が機能していなかったといえます。非常につらい時期でした。森川すいめい氏によれば、あらゆる対話が不能となった時、人は死を選ぶ可能性が高まるようです。言葉を交わしてもそれが対話でないことは往々にしてありますので、会話ができていても対話が不能になっている人というのはいます。会話は言葉(音の振動)のやり取りですが、対話には愛の流れ(フロー)があります。自立とは複数の依存先を確保することだという言葉がありますが、それに似て、適切な生存とは複数のフロー(流れ)を確保することだといえなくもありません。

 

ちなみにサティヤサイババの著書は15あるようですが、それらはプレーマヴァーヒーニー、ギーターヴァーヒーニー、ディヤーナーヴァーヒーニーなどと名付けられています。ここでヴァーヒーニーとは流れの意味をもちます。プレーマヴァーヒーニーはプレーマ(愛)の流れであり、ギーターヴァーヒーニーはギーターに関する知見の流れであり、ディヤーナーヴァーヒーニ―はディヤーナ(瞑想)に関する知見の流れのことです。これらはサイババから私たちへと向けられた流れであるわけです。つまりサイババが行われた私たちとの対話(のとっかかり)であるわけです。私はそれらの著書の一部に反応し、自分の存在をもって受け止め、それを咀嚼し、それを実践し、サイババへ反応を返してきました。サイババと私との対話です。実際に口から発する言葉を交わしているのではありません。存在と存在を通じての対話です。湯川博士は中間子を予言しました。中間子は陽子と中性子をつなぎ、原子核を安定に保ちます。私にとってサイババからの流れ(ヴァーヒーニ―)を実践するということは、原子核つまり原子つまり人間にとってのアートマを安定に保つ働きをもちます。

 

二元性の感覚が少しでも残っている限りは、対話あるいはフローを意識せざるを得ないでしょう。川は大洋へ向かって流れますが、川は人間個人を象徴し、大洋は超越者(神)を象徴します。川が大洋に融合するまでは人間は流れ続けるのです。それが運命です。