ヴェーダ

 ユネスコ無形文化遺産に登録されているヴェーダ。インドで太古から口伝で伝えられてきたマントラの総称です。このブログでも時々ヴェーダマントラの一節を取り上げることがありますが、とはいってもヴェーダに関してそれほど知識があるわけではありません。ブラーミンが一生を捧げても汲みつくすことなど到底できないといわれている霊性と英知の宝庫。私がそれについて語るのは滑稽ですらあります。しかしながら、まったく知らないというわけでもなく、今日は恥を覚悟で少しヴェーダについて触れたいと思います。

 ヴェーダは「知識」の意味だとされます。そしてシュルティという別名があります。シュルティとは「聞かれたもの」という意味。それは心が清らかな太古の聖者方が感知した音のことです。ですので聖書やコーランや仏典のように人由来ではありません。コーランは啓示なのかもしれませんが、そういうものとも異なります。誰もが受け取ることのできる再現可能な純粋な「音」です。ただし、きわめて純粋な方しか感知できないもの。その音を師から弟子へと代々伝えてきて現在のヴェーダがあります。しかし、時の経過の中で多くのヴェーダが失われてきたようです。

 現代物理学では宇宙はビックバンによって始まったとされます。そのときに生じた原初の音がプラナヴァ。そして宇宙の展開にしたがって音のさまざまなバリエーションが生じましたが、それがヴェーダなのかもしれません。ヴェーダ文献の中に、ヴェーダは宇宙の創造者の呼吸であるとあるようです。人の命と呼吸を分かつことができないように、この宇宙とヴェーダを分かつことはできません。

 ビックバン以来、宇宙はヴェーダの記述に沿って創造されたとされます。従ってヴェーダは宇宙の設計図でもあります。そこには生物の原理や星の原理、あるいは人間の生き方(ダルマ)が記されていたり、物質にまつわる科学的な原理も書かれているようです。たとえばロケット。ロケットを作り出したのはロシア人だそうですが、ロケットはロシア人がそれに関するヴェーダの詩節の意味を探求する中で得られた原理のようです。他にもさまざまな神格に関することがヴェーダマントラに記録されています。

 最初にヴェーダの音がありました。聖者方はそれに耳を澄まし、自らが聞いたその音を自分の舌で模倣したのですが、それが後にサンスクリット語になったようです。ですのでサンスクリット語は人間社会由来の言語ではなく、神の言語とインドでは扱われています。

 最初にプラナヴァがあり、プラナヴァを唱えているだけでも人生は成就するとされます。さらにガヤトリーマントラがあります。これはマントラの母とされます。ヴェーダマントラを育むものです。このガヤトリーマントラを唱えるだけでもやはり人生の成就には十分とされます。ガヤトリーマントラヴェーダのエッセンスでもありますし。このガヤトリーマントラを一定期間唱えていると、ヴェーダを学ぶ機会が運命により遅かれ早かれやってくるのではないかと個人的な経験から思うのですが、このヴェーダは上に書いたように、知識に関する最高の祝福です。世界のありとあらゆることがヴェーダにあります。時の流れの中でかなりの量が失われたとしても。

 私が知っているのは、その中でもごくごく限られたわずかな部分。他にない宝物と思って、一生大切にしていくつもりです。

 ヴェーダは一度失われてしまうともう戻ってこないとされます。おそらく現代の汚染された時代ではその通りなのでしょう。しかし、その汚染が浄化されて清らかな聖者方が戻ってきたならば、あるいは今でもヒマラヤの奥地にもしかしたらそういう方がいらっしゃるのかもしれませんが、そのときに再びそういう尊い方々がヴェーダを感知されるのではないかと個人的には希望をもっています。

 ヴェーダの一つプルシャスークタムは下のようなマントラです。